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あのひとからの
メッセージ
「待つわ」で鮮烈デビューをした岡村孝子さんと加藤晴子さんによる“あみん”が再結成。石橋文化ホール開館50周年記念事業として「宝くじまちの音楽会 『岡村孝子&あみん~未来へのメッセージ~』」が開催され、待ち望んだ多くのファンで溢れました。今回は特別に久留米児童合唱団とも共演し、「明日があるさ」「上を向いて歩こう」を披露。ほのぼのとしたお二人の「懐かしくて新しい」ステージに、会場も、温かい空気に包まれました。終演後、岡村孝子さんにコンサートのこと、音楽のことについてインタビューしました。
2013.10.09 更新
岡村孝子さん コンサート終了後インタビュー
『音楽は、絵日記みたいな存在』
ー加藤晴子さんとは久しぶりの共演ということでしたが
(あみんとしてステージに立つ)1年ぶりのコンサートの初日だったので、最初の方は二人ともすごく緊張していて。MCのときもドキドキでした。
ーそうは思えない、息があったお二人でした。今日は地元の合唱団との共演ということで、久留米児童合唱団とも共演していただきましたが、いかがでしたか?
ふつう、リハーサルは何回もするものなんですけれど、今日はどの曲も一回でさっと出来上がって。先生も「大丈夫です」って。ちょっとプロの合唱団みたいな感じで。本番も隣を見たら、ちっちゃなお子さんもすごい笑顔で歌ってたので、プロみたいだな~って。
ー久留米児童合唱団は、このホールで定期演奏会もしていますし、いろんなイベントにもよく出演されているので、このような舞台でも落ち着いていらっしゃるのだと思います。
(MCで)合唱団の女の子に「今日の気分はいかがですか?」って急に聞いたのですが、「緊張してます」って返事をされたけれど、全然そんな風じゃありませんでした。 リハーサルではみなさん、Tシャツとか各自のお洋服だったのが、本番はみなさんセーラー服で。ああいう形で、ちっちゃい子から大きい子までがセーラー服というのは初めてでしたが、かっこいいですね。
ー今年、石橋文化ホールが開館50周年を迎えましたが、この50年間、今日の久留米児童合唱団のように、多くの子どもたちがステージに立ったり、コンサートを聴きにきたりして、いろんな音楽体験をしています。岡村さんも、ステージに立ったときの感動体験などがありましたら、お聞かせください。
合唱部では、愛知県岡崎市の矢作中学校で全国大会に出たり、CBC(中部日本放送)のコンクールも全国二位に相当する賞をもらったりとかしていました。合唱でそういう舞台に立たせて頂いたこともあるし・・。 私たち(あみん)は、ポプコン(※)で初めて人前で歌ったんですね。その時は緊張というよりも、何か自分たちの存在を知ってもらいたいという気持ちだったのですが・・・。その会場のステージがすごくよくお客さんを見渡せるところで、その時見たお客さんの光景が圧巻でした。 あとは、ウィーン少年合唱団を名古屋に見に行ったことだったり・・。 それから、さだまさしさんのコンサートを聞きに行ったこと。さださんが、シンガーソングライターになるきっかけだったので。 さださんとNHKの「夢音楽館」という番組で一緒に出させて頂いたことがあって、その時にさださんと番組の中でお話をさせて頂いているときに、「コンサートを見ていた17歳くらいの私に、今うしろから行って、『何十年後かに、頑張っていると、さださんと共演できるんだよ』って言いたい」ってことを、って言ったんです。
ー憧れの人を、客席で見る側から、ついにはステージで共演できるなんて・・
ラッキーというか、まさか、そういう日が来るとは自分も思ってなかった。それもそんな初期の頃ではなく、音楽始めて20年以上たってからの共演だったので。頑張ってるとこうやって神様がご褒美くれるんだなぁって思いました。
ー今後、音楽を通じて伝えたいメッセージは?
私にとって音楽は、絵日記みたいな存在で。 音楽やアルバムを聴き返すと自分にとって「あの時の空の色はこんな感じで、風のにおいがしてて、こういうことがあったな」みたいに思い出せる絵日記。誰かに何かメッセージを伝えるというよりも・・。
ーそこがいいのかも知れませんね。私も昔、岡村さんの「電車」という曲を何度も繰り返し聴いていましたが、この曲も何気ない日常のことを歌った曲ですよね。
この曲は東京に23歳の時に出てひとり暮らしを始めた頃に、期待と不安のなかで毎日揺れ動きながら書いた歌で、電車で事務所とか仕事場に通っていて、電車の中で起こる様々なドラマとか見ながら、まさに自分にとっては絵日記でした。女性のかたが「わかる」ってあのとき言ってくださったので、自分だけじゃないんだって、逆にそれが励みで続けて来れたのかもしれないなって。
ー最後に久留米のみなさんに、一言いただければ
久留米は、コンサートでも初めてです。 仕事で知り合った久留米出身の友だちがいるんですけど、プライベートでもずっと友だちで、すごく色んなことを親身になってくれて、熱いというか、温かい女性です。 博多、福岡まではコンサートで来るんですが、久留米は初めてだったので、どんなところかすごく楽しみにしていました。本当に久留米で私の歌を聞いて頂いて、まずは嬉しかった。今日も9割強が初めてのかたということで。久しぶりに今日は九州でライブができたので私自身も楽しみにしていました。今日はありがとうございました。
(※)ポプコン・・ヤマハポピュラーソングコンテスト。「あみん」は、1982年、つま恋で開催されたこの大会で「待つわ」でグランプリを受賞。レコードデビューのきっかけとなった。
岡村孝子(おかむらたかこ)1982年7月、“あみん”として「待つわ」でデビュー。楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まってミリオンセラーの大ヒットとなり同年のオリコン年間シングルチャート1位を記録、同年の第33回「NHK紅白歌合戦」にも出場する。1985年10月、アルバム「夢の樹」でソロデビュー。1987年リリースされたシングル「夢をあきらめないで」は超ロング・セールスを記録。この曲は中学校の音楽の教科書にも広く採用されている。1988年リリースされたアルバム「SOLEIL」から6作連続アルバムチャート1位を記録、「OLの教祖」とまで呼ばれ、多くの女性からの支持を集める。“あみん”デビュー25周年となる2007年、休止していた“あみん”の活動を再開。2007年7月、“あみん”として24年振り2枚目となるオリジナルアルバム「In the prime」をリリース。その後“あみん”として初の全国ツアーを行う。年末には1982年以来、25年振り2回目となる「NHK紅白歌合戦」にも出演する。2008年も引き続き“あみん”としての活動を継続させ、10月、“あみん”3rdアルバム「未来へのたすき」をリリース、コンサートツアーを行う。2009年より岡村孝子ソロでの活動を再開する。2011年9月、ソロデビュー25周年記念盤となる16枚目のオリジナル・アルバム「勇気」をリリース、コンサートツアー「勇気 ~courage~」を東京、大阪、名古屋にて行う。 2012年7月、“あみん”デビューから30周年を迎える。2013年3月27日、17枚目のオリジナル・アルバム「NO RAIN, NO RAINBOW」、ライブ・DVD「ENCORE Ⅶ」(2012年12月に行われたスペシャルライブ「Chriistmas Picnic」最終日・渋谷公会堂の模様を収録)を同時リリース。5月25日より全国ツアーをスタートする。
『砕ける波に』酔いもせず、何とか笠岡港へ再上陸。 駅前に戻り、再び夕食用のサンドイッチ調達。 その後しばらく笠岡の街をテジカメ用の電池を求め西東。 何とも恥ずかしながら、予備の電池を自宅に忘れてしまうドジな様。 結局特殊な電池との事で諦めて、会場入り。 Mさんにはご迷惑をおかけしました。 それなのに入場時にもらった抽選券が、なんと大当たりだったのです。 2月の綾部以来のツキが、まだ続いていたのでした。 座席は前から二列目、孝子さん側で『ブラックボックス』もなく満足満足(*^^)v ソロの孝子さんも良いけど、『あみん』としての孝子さんも良いですね。 孝子さんがピンクのドレス、ハコさんは薄いエメラルドグリーンと白の混じったドレス。 『ドレス姿』と『あみん』『ソロ孝子さん』に酔いしれた時間が流れていました。 |
毎日新聞 2013年09月23日 地方版
久しぶりになっちゃいました。金縛り。医学的、科学的には「体は眠っているのに意識だけが目覚めた状態」だということは、わかってはいても、怖いんですよね、これが。
学生時代から、たびたびありました。体が硬直して動きたくても動けない程度のは。
ところが音楽の仕事を始めてから金縛り度が重症化していき、金縛りになる時期と感性・感覚が研ぎ澄まされている時期がイコールになって……。手っ取り早く言うと曲の書き時だよ、ということが分かっちゃったんです。
残念なのは、今はアルバムを作りあげたばかりで、創作モードのふたをパタンと閉じてしまい、しばらく作らないぞっ!と決めてしまったこと。本当に残念です。(おい、おい、作りゃいいじゃん)
冗談はさておき、ソロデビューして最初にやつがやって来たのは、6畳一間のアパートで1人暮らしを始めた28年前、23歳の時。ちょうど丑(うし)三つ時の頃、寝ている私の周りを何十人もの人が歩き回っているんです。まるで私が往来に布団を敷いて寝ているみたいに。
通り過ぎて行く人が「寝てるの?」「起きてるんじゃないの?」なんてのぞきこみながら、みんなで私のほっぺたをピタピタ触っていくのです。怖くて怖くて、朝まで目をつぶり続け、完全に人の気配が消えた頃、そっと起きて玄関に行くと鍵が開いていたことに気付き、そちらの方が100倍ゾッとしたっけ。
そんな恐怖の金縛り君は、アルバムを作る時期になるとやって来るようになりました。不思議なことに、それが35歳の頃、育児を始めてからパッタリこなくなりました。「もしかしたら創作より育児に励め、ということか」なんて金縛りのことをすっかり忘れていた、とある日、やつは帰って来ました。
2年ほど前の夜中に、夢の中で(なぜか私は実家の仏間に座っていたのですが)机の下からいきなり出てきた何者かの手に足をつかまれ、机の下に引きずりこまれ、そのまま体半分くらい壁の中に吸いこまれたのです。
ものすごい恐怖の中、私のベッドで寝ていた愛犬のハッピーが「ウーッ」とうなり声をたてて、やっと目が覚めました。
「助かった」とホッとしたのもつかの間、数分後、眠りについた私は再び同じ仏間で机の下から足をつかまれ壁の中に……。
またまたハッピーがほえたててくれ、無事に現実に引き戻されましたが、2度も足をつかまれた感触は生々しく残っています。
そして先日、京都でツアーの最終日を終えて自宅に戻って来た夜、寝ている私の顔にビュンビュンと風が吹きつけて段々と激しくなっていきま
「このまま行くと、また何か来そう」と思い、顔を横に向けて隣のベッドに寝ている娘に向かって声を出そうと試みましたが、なかなか声が出ないのです。
やっとのことで娘が気づき、私の腕をつかんでくれた途端、金縛りが解けました。
「ママがうめき声を出すから、びっくりした」という娘に「ママの足を触ってみて」と頼んでみると、笑っちゃうほどの鳥肌で、とりあえず私の恐怖は理解してくれた様子です。でも、しばらくの間「私が助けてあげたんだからね」と恩着せがましく言われました。トホホ。
今年はパワーをもらおうとハワイ島のパワースポットに行き、そのパワーが切れたと夏に伊勢神宮にも行ったのでパワーが余っているのでしょうか?
パワーのもらいすぎに注意しましょう。それとも創作のふたを開けてみるべきか……。(シンガー・ソングライター)
◇
「虹のパレット」は月曜日に掲載します。次回は瀬木直貴さんです。
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■人物略歴
◇おかむら・たかこ
1962年、愛知県岡崎市生まれ。椙山女学園大学在学中に同級生の加藤晴子さんとデュオ「あみん」を結成、デビュー曲「待つわ」は82年のヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリに。85年にソロデビュー。87年に発表した「夢をあきらめないで」はロングセールスを記録した。今年3月にアルバム「NO RAIN,NO RAINBOW」をリリース。
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20130923ddlk23070065000c.html