ひとりごと 2012/01/27 予約 道半ば 名古屋での岡村孝子さんのライブが目前まで迫ってきた。 昨晩遅くホテルの予約を済ませ、 今日は自宅から名古屋の交通手段をあれこれと思案する。 自家用車は便利だが、名古屋市街の移動や、 某鉄道に2日目に乗車などと企てているから今回は問題外の手段。 新幹線は便利だが、とても今の状況では無理。 在来線は、米原から東が『秘境』かと思えるほどの交通不便な地域。 結局は高速バスに今回もお世話になる。 ネットを駆使し、某バス会社の『残り一人』にうまく滑り込み予約です。 帰りをどうするか。 雪の事をどのように考えればいいのか。 瀬戸内ののんびりした地域の者にとって、雪って不気味な存在です。 予約してしまっていいのか、のんびり時間を気にせず、JRの人になるのも良いのかな? PR
ひとりごと 2012/01/22 『台風女』から『雪女』? 2月2日まで10日あまりとなった。 明日から2月上旬まで日本上空はこの冬最大の寒波に襲われるとか。 これまで2度の寒波に襲われ、そのたびごとに風邪をひいている。 治りかけたこの時期に、またもや襲われたら、とうてい2月2日に治りはしない。 『風邪大丈夫ですか?』って孝子さんに心配されるのは良いのだけれど、 ライブの雰囲気を壊す咳などは、迷惑甚だしい。 また体力も奪うし、とうてい名古屋まで遠征などできない。 また雪の心配もある。 名古屋って、関ヶ原の向こう側である。 どうも関ヶ原というのは、僕の心の中では、 ひとつの世界の区切りのような感じがする。 いまだに名古屋から向こうは、小学生の修学旅行のようなドキドキ感や淡い憬れもある。 見知らぬ土地での戸惑いや、期待感。 いろんな感動を与えてくれる孝子さんのライブとは別の恩恵に感謝します。 台風が過ぎ去ったあとのライブや、雨の中で入場を待ったライブ。 今回は雪の中での会場待ちという事なんでしょうか。 それとも雪で関ヶ原通行止めで、ライブに参加できなかった、、、などという、 とんでもない思い出にならないだろうか、、、などと、 思い巡らせている今が一番幸せなんですが。 ハラハラドキドキさせてくれるところも好きですね。
ひとりごと 2011/12/31 暮れて行く2011年 もう数時間で2011年も終わろうとしています。 震災や台風で数多くの方々の悲惨な生活を見るにつけ、 何度拝見しても瞼熱くしています。 自らの選挙の事しか考えない政治家や、 天下り先の確保を第一の責務と思っている官僚もあてにせず、 唇をかみ締めてがんばっていらっしゃる方々にも敬服いたします。 国民の勤勉さ、穏やかな気質や他人を思いやる人々に拠ってこの国は、 支えられていると思います。 数々の災害にも、政府の無作為による大多数の貧困層の増加にもデモさえも見られません。 世界中でもこんなに大人しいというか、冷静な民族はいないようです。 そんな人々の心の中に、岡村孝子さんの『夢をあきらめないで』の精神が、 DNAとして仕込まれているのかもしれません。 『頑張りなさいよ』なんて言わないけれど、 となりのあの子もこの子も孝子さんでさえ、 心砕け膝を抱える事もあるんだよ、って。 何の取り柄も無い者には、孝子さんってやはり『未知標』なんですね。 震災以降、ユーチューブのアクセスが増えたり、 『応援歌』的な詩が好まれているのも、 そんな心の拠り所としての『未知標』を探しているのかもしれません。 来年が岡村の孝子さんにとっても、 ファンにとっても素敵な一年でありますように。
ひとりごと 2011/12/18 新旧交代 他のブログに記す事なんだけど、開かない。初期化の影響か?! ここ10日間のもうひとつの出来事。部屋(実生活)の大掃除の、ほんの真似事。7月のデジタルテレビの導入で、すっかりビデオテープの山が邪魔になってしまった。いつかは観る、、、と思いつつも、結局はホコリの山のように積もっている。生ごみの日に二袋分、約50本がその日のうちに焼却処分されたでしょう。思い出と共に、、、というより、このビデオテープの処分に不思議と感傷はなかった。 孝子さんのテープは保存してはいるものの、これもいつ観る日が来るのか。ユーチューブやCDでの映像に満足しているわが身、、、。いつから『アナログ』から卒業したの? そういえば昨日の新聞に『急行 きたぐに』が来春引退するとか。北海道への旅に良く利用していた。青森で青函連絡船に乗り換えていた時代、あれはあれで良かったのだろう。今同じ事をしろと言われてもできない。 時とともに、 技術の進歩とともに 昭和の時代は遠くなっていく。
ひとりごと 2011/12/17 『10日間の浦島太郎生活』 日々の生活の中でネットの無い事は信じられない。突然に近いかたちでPCがダウンしてしまった。前兆は有ったのでデーターはほぼ完全に保存できたが、それ以降日々の生活に必要な情報が取れないというのは、苦痛であった。日々の疑問や知識の習得と、ブログの更新が出来ないは信じられないことだった。とりわけ孝子さんの情報が得られないというのは、不安でもあり恐怖心もあった。自分だけが取り残される、、、。先日のライブの模様がラジオでも放送されるはず。高松での事も気がかりであった。 そして10日も過ぎ、11日目の電気店の閉店間際の電話に、すぐさま駆けつけた。 メール、ネット設定にそれから24時間、自分のブログの更新にそれから24時間。結局は放送はPCから漏れる音をカセットデッキで録音という羽目に。でもこれも半年前には当たり前にしていた事。シヤリシャリとテープが擦れる音もあり、懐かしくふと昔を思い出したりもする。 ここ10日間には、これまたいろいろとあった。まずタカコクラブからの更新完了通知と、孝子さんの満面の笑顔のポストカード。同じくバースデーカード。高松での23日の当選ハガキ数枚。家族名義やハガキで申し込んだ物が全て、当選していた。ツキがないと思いきや何とも皮肉な結果である。 オフィシャルも2度更新されていた。グッツ販売とネットラジオ。ラジオは後日ゆっくりと聴くことにし、今はPCが『相棒』として完全復帰してくれる事を祈り、体制を少しずつですが整えています。 10日間での変化。家庭環境の変化もあり、ストレスで1kgも肥る。イケナイ、イケナイと思いつつもポテトチップスなどに手が伸びる。血圧は上がるは、虫歯が増えそうだし、体脂肪も、、、。PCの無い生活は、健康に悪影響だと感じた10日間でした。