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孝子さんに誘われ北陸の旅 


  あの日から何日が過ぎたのでしょうか。
3月19日の事だから、もう一か月になるんですね。
時が過ぎるって早い年頃になりましたが、この2週間は今までになく早かった。
『昨日に続く今日なんて無い』との思いの強い日々でした。


  朝晩がまだまだ肌寒い日の朝『魅力! 女子力』の番組を聴き、
少しばかり遅い朝食を済ませ、姫路より新幹線、新大阪でサンダーバードに乗り換えて、
金沢経由、羽咋への『あみん まち音の旅』が始まりました。
今回、JR西日本の北陸フリー切符を利用しました。
北陸3県のJRと第三セクターなどの鉄道は3日間乗り放題でした。
時間に余裕があれば、もっと行きたい所が山のようにあったのですが、
色んな事情があり今回も一泊二日が限界でした。
でも僕にとっては、孝子さんに誘われての想い出深い旅のひとつになりました。


 庭先の『桜桃』に佇むウグイスです。
ぴょんぴょんと枝から枝へと忙しく蜜を啄みます。
モズが来るとしばらくは帰ってきません。
そんな春の日の穏やかな日が、羽咋への旅の始まりです。
 当初予定していたサンダーバードの指定席は取れなかった。
そもそも3連休の初日の午前中の予約を、
前日に入れるというトンマな事をしてしまった。
『女子力』を取るか、金沢散策を取るかギリギリまで迷ったためです。
  ダメ元で午前中最後のサンダーバードに予約を入れ、
その前のものに乗れればとの思いで新大阪に着くと、
以外と空いていたので予約していた前のサンダーバードの自由席に飛び乗った。
ここから2時間40分の旅である。
  今回の旅では地元の私鉄は諦め、
『美味しいもの』の食べ歩きと、
晴れれば『日本海に沈む夕陽』を撮りたかった。
叶わぬ思いだが、ダメ元でスリルのある日程を組んでいた。
一時間に一本しか止まらぬローカル駅や、
地元のバス路線も楽しみでもあり、不安でもあった。
時間短縮のために別路線へ歩いての移動も、覚悟していた。
 13時半、金沢駅着。
ネットで調べてた『もりもり寿し』の駅前店。
金沢市内にも2店あるのだが、時間的にはここしかない。
美味しいものを安くとの事だったけれど、
14時近くになってもすごい人だかりでした。
 
 受付機を見て、ガッカリ。
まだ11時半の人が待っている。
念のため店員に訊くと、わからないが2時間待ちは確実だとか。
席に着く頃は16時前になるのか、、、。
諦めて同じフロアの別の店にした。
 とんかつ『富金豚』にした。
比較的店内も広く、回転も速そうだった。
あまりうろうろしても時間のロスである。
何しろ遅くても15時24分発の電車に乗りたい。
 
 その店のお勧めとの事で、『厚切りロース豚カツ定食』を注文。
久々の『肉』です(^_-)-☆
サクサクの衣に旨みたっぷりジューシーな豚カツとのふれこみ。
 でも少し大き過ぎ、まるでワラジのよう。
遅い昼食とはいえ、途中で満腹、挫折。
ご飯も少し○○○。
 ゆっくりと観光の時間もなく、いや当初から予定もない。
駅前広場をパチリ。
駅前の巨大アーチ状の建物も上から見ても、すごいスケールですね。
 改札へ急ぎ、もしかしたら一本早いのに乗れそう。
ここからは七尾線での旅です。
一時間のんびりの旅。
過って能登の先端まで自転車でサイクリングしていたあの日、
まだまだ若かったのです(^_-)-☆
 15時発の『能登かがり火』が今まさにホームに入ってきました。
予定より早く羽咋に着けます。
会館へ行く前に宿にチェックインが出来ます。
名前通りのペイントなどを施しているとの期待があったのですが。
 能登では大きな町、羽咋。
この町は『千里浜なぎさ』と『宇宙人』で町おこしをしている。
海岸は過って自転車で走った。
夕陽の美しい海岸で名が知れている。
 宿へ急ぐ。思ってたより遠い。
この道を再び戻り、駅を挟んで反対側のコスモアイル羽咋へ急ぐ事になる。
途中発見した雪国らしい『信号機』。
『電球』だった頃は、信号機って縦に設置してあり、
雪国育ちでは無い者にとって珍しかった。
 民宿『はまなす』。思ってたより立派な今晩の宿である。
雰囲気的にゆっくりしたい、、、と。
建物も立派。古い感じだけれど、隅々まで綺麗でした。
その上ここの女将さんが話し上手で、
田舎のない僕には田舎へ帰ったかのような錯覚を覚える。
海岸まで5分の距離。時間が許せばゆっくりと散策したい。
 どこへ行かれるかとの問いに『あみんのコンサート』で話が弾み、
結果会場入り口まで送って下さった。
ありがとうございました。
予定より一時間くらい早く着いてしまいました。
誰も居ない、まさかの展開でした。
いつものように会館まわりを散策、某所も発見。
 会館入り口のポスターなどは当たり前。
今回のライブでこんなの発見、この町の意欲が感じられます。
前売り券発売も、会場と市役所のみとの意気込み。
ファンとしてはチケットの確保が大変ですが、本来の形ですね。
 『UFOの町』として頑張ってるようですが、
さすがにこれには絶句。
ここまでするか、、、と。
町の至る所にUFO関連のグッツがあるようですが、
役所としての頑張りには敬服します。
どこかの『補助金』ばかり当てにする市町村とは大違い。
 もちろん女子トイレも同じような図案でした。
 ライブ会場は丸い建物の後ろ側の四角い建物。
丸い建物内には、『宇宙関連』の物だらけ。
孝子さんを追って来た者には、ちょっと場違いのよう。
高校生の時、宇宙や気象に興味を持ってたけれど、それは過去の夢。
 館内はまだ慌ただしく会場準備中でした。
今までの会場だと、これらの事が全て完了してからの入場なのに、
準備のドタバタを見てしまいましたね。
 グッツ売り場。
最近はコンサートパンフレットしか買わない。
キーホルダーとか、タオルなどにも興味がないファンって失格なのか。
いや、それらにかけるより、一回でも多くライブに参加したいため。
 Sさんから最前列のプレミアムチケットを受け取り、最前列席へ。
ステージが低く、また『モニター』の配置も邪魔にならないベスト席でした。
ありがとうございます、Sさん。
遠路はるばるのチケット確保のドライブお疲れ様でした。
  休憩を挟んでの至福の2時間はあっという間に過ぎました。
あみんも良いけれどやはりソロ孝子さんの方が落ち着きますね。
どうしても『あみん スマップを歌う』あたりが中弛み。
いやいや贅沢言っちゃダメですね。
 ライブ後出待ちをしました。
しかし孝子さん、ハコさんはバスにスーと乗られてしまいました。
ファンとしては残念ですが、お二人ともお疲れだったのですね。
途中のコンビニの店内に貼られていた『沢田聖子さん』のポスター。
CD発売のお知らせです、ここで再会するとは何かの縁???
 そして一番落ち着ける同志とともに『孝子さんのポストカード』に見つめられ、
居酒屋で孝子さん談義に花が咲きました。
気の合う仲間に囲まれ、憧れの孝子さんの事を肴に話するって最高の幸せであります。 
 これがそのチケットです。
孝子さん、ハコさんとファンを結ぶ一枚の小さな紙だけれど、
これが色んな思いを繋いでくれます。
苦労や優しさ、感謝と人の温かさ。
孝子さんのファンになって本当に良かった(^_-)-☆
 閉店時間までたっぷり、北陸の美味しい肴と美味しい地酒。
そして現実の世界から遠く離れた羽咋の地で、心行くまで酔いしれたひとときでした。
こんなひとときをプレゼントして頂いた、孝子さんありがとう。
そして大切な時間を共有して頂いた、Sさん、U/Hさん、bさん、ありがとうごさいます。
   



   さて2日目ははたしてどこへ行くのでしょうか(^_-)-☆

またいつ更新されるのでしょうね。

まあ関西のライブ予定が孝子さんから発表されるまでにはなんとかなるでしょうか。












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あの頃ミュージック情報



  (オフィシャル)

□ AMラジオレギュラー番組「岡村孝子 あの頃ミュージック」からのお知らせ   NEW!
○ 今春からの番組放送スタート・放送時間変更・放送終了の放送局は以下の通りです。
 【 番組放送スタート 】
   長崎放送   3月28日(月)より 毎週(月~金)21:50 ~ 22:00
   大分放送   4月02日(土)より 毎週(土)7:25 ~ 7:40
   四国放送   4月09日(土)より 毎週(土)6:30 ~ 6:40
 【 番組放送時間変更 】
   信越放送   4月10日(日)より 隔週() 16:15 ~ 16:30
   新潟放送   4月10日(日)より 毎週(日) 18:00 ~ 19:00
 【 番組放送終了 】
   岩手放送   3月20日(日)で終了となりました。
   東北放送   3月26日(土)で終了となります。
   北海道放送  3月27日(日)で終了となります。
   山陽放送   3月27日(日)で終了となります。
   上記以外のレギュラー放送局は今まで通りの放送予定です。
   ※放送局、放送時間などは変更の可能性があります。
    また、放送日時は各局異なりますので、各局HPタイムテーブルにてご確認ください。

岡村孝子 あの頃ミュージック  ツイッター
   
【放送時間等変更】
*新潟放送 18:00〜19:00(日)4/3
*信越放送 16:15〜16:30(隔週曜) 4/9〜
【継続社】
引き続き、
*山口放送 *西日本放送
*山梨放送 *静岡放送
*福井放送
はありますので聴いて下さいね


岡村孝子 あの頃ミュージック  【放送局変更のお知らせ】
3/28(月)から一部放送局が変わります。
【新規スタート】
*長崎放送 21:50〜22:00(月〜金) 3/28スタート
*四国放送 6:30〜6:40   4/2スタート
*大分放送 7:25〜7:40   4/2スタート


   


あの頃ミュージック 26回目



  化粧をするかもしれない娘の買い物で、遠い昔の自分を思い出した。

  ♪ 夢をあきらめないで ♪

 テーマ「卒業」、たくさんの投稿。抽選の結果、サイン入り特製ポストカード。
「卒業」は、保育園とか小学校、中学校高校とたくさん卒業を経験して、
一番印象深い卒業と言えば、中学校です。
それまでは同じ地域の同級生たちが、学年は上がってみんな同じ学校に進んで行った。
卒業式って悲しいというよりも、
学年が上がって新しい学校になったら楽しいな、どんな出会いがあるかな。
中学の卒業式で初めて進路がばらばらになって、
高校に行くと同じ中学から行く友達がすごく少なくなる。
どうなるんだろうとかちょっと不安な気持ちがしたり、
仲の良かったボーイフレンドが、初めて違う高校に行ってしまうというので、ちょっと寂しいなと。
もうこれで交流は続いて行かないんだろうなと、思いをしたことを覚えている。
以前番組で高校の卒業旅行で親しい友達4人か5人で、
卒業してから鎌倉に日帰りで旅行に行ったというお話をしたかも。
実は大学卒業していないので、自分の中でとっても引っかかっていて、
歌の中でも『卒業証書と名の付いたそういう卒業』『卒業と言う名の付いた卒業証書が欲しい』かな。
『けじめと名の付いた卒業証書が欲しい』の歌詞が出てきた、『電車』という歌で、
それぐらいプロのシンガーソングライターとしてデビューしてからも、
夢の中にああ単位が取れないとか、卒業できないっていう夢を何年も経ってから見てしまった。
それぐらい自分の中で卒業しなかったっていうのが、ネックだったのかと思った。
娘にも大学はきちんと卒業した方がいいよって言ってしまった。
でも今となっては別に卒業したとか卒業しなかったとかってあんまり関係ないかな。
このぐらいの年齢になってしまうと、それからの人生の方がずっと長いので、
何かあった後にどう生きるかという事の方が大事かな、思ったりもする。
23歳でソロデビュー、20歳であみんとしてデビューして、音楽を30年近くやらせて頂いて、
最初マイクを置く日にはこういう歌を歌おうとか、
マイクを置く時には自分の地元の愛知県岡崎市でコンサートをやろうとか、色んな事を考えていた。
最近あっちこっちで生涯現役を掲げてしまってるので、
歌い手としての卒業と言うのはないのかもしれないと思っている。
アルバムのレコーディングで参加して下さった松原正樹が亡くなった。
闘病してた事を全然知らなかった。
2年前のレコーディングでお逢いしたのが最後で、次のレコーディングで一緒できる、と思ってたので、
そんなに声も交わさないまま、きちんとご挨拶出来ないままお別れになってしまった。
すごく悲しいな、と思った。
出来る限り自分が元気で歌える限り、ステージもレコーディングも続けたいなと思っているが、
なんとなく身体が動かないぞ、と思ったら、
大好きなミュージシャンや逢いたい方と一緒にレコーディングでみんなで顔を見合せながら、
『ホントに楽しかったね』と想い出を創るのもいいのかなと、思ったりもしている。
今のところ私とっても元気なので、生涯現役を目指しながら頑張って行こうかな、と思っている。


   ♪ 卒業 ♪  
   ♪ Believe ♪


 昨年度卒業ソングランキング2015 ~ 一曲も入ってなかった、寂しく思う。
    来年こそは20位以内に『夢をあきらめないで』が入るようにがんばります。
    どうやったら入るんですかね。


 娘と2人で新しいスタートを4歳の時に決めたが、その時行事ごとや体育会にはできる限り出る。
ツアーに出たりで家を空けることがとっても多く、子供が4歳くらいの時に、
何日も家を空けてしまう事があっても、寂しいとか仕事に行かないでと娘は一言も一応言わなかった。
中学校の時はそのまま上がったので、親(私)は卒業式には参加できなかった。
一応18歳になるまでは自分できちんとしたいなということで、
高校を卒業して、これで何となく自分の役目は無事に済んだなと、胸をホッと撫で下ろしている。
何かの節目に自分の娘の成長の具合を自分の目で確認できるというのは、本当に嬉しい事です。



 私も浪人したし、それから大学も卒業していないし、転んだりつまづいたり色々してます。
きっと長い人生の中でまわり道って、1年や2年大した事ないと思う。



 新潟県の『海に輝く星』さん。
いつもラジオでお会いするのを心待ちにしています。(ありがとうございます)
さて私の住む北国でも雲間から降りる日差しのカーテンが、優しい春風にそよぐ季節となりました。
私が自動車運転免許を取ったのも30年前の今頃でした。
当時は教官が厳しく怖くて、合宿先を何度逃げ出そうと思ったことか。
けれど私には誰にも負けない希望の灯がありました。
それは大好きな孝子さんの曲を聴きながら、海辺をドライブすることです。
晴れて免許を取得後、孝子さんの曲を助手席に載せて意気揚々とハンドルを握ったあの日、
お気に入りの歌声をバックに、弓なりの海岸線に並ぶ松の木がゆるやかな弧を描いて、
サイドミラーの中に吸い込まれて行く、あのまばゆい日が忘れられません。
ドライブでよく聴いた『微風』をリクエストします。

 と言うことで、『海に輝く星』さん、相変わらずもう詩人ですね。
本当に素晴らしい文章、私もこんな詩は書けませんね。
いつもすごいなと思います。
でも私も『微風』という曲は、ハンドルを握りながらドライブをしながらと言うか、
車を運転しながら、時には助手席に座りながら詩を書きました。


   ♪ 微風 ♪


  あいうえ 岡村孝子

お題は『つ』で『釣り』

  小さい頃釣りの大好きな父に付いて浜名湖へ行った。
  釣りをしている父の近くで、弟と海水浴をしていた。
  気が短い父に怒られた経験はなかったが、
  ご飯を食べる時に肘をついていたら、何も言わず手が飛んで肘を払われる事があった。
  釣りが好きな人が釣りをするとこんなにも変わってしまうのかな、とビックリする事があった。
  釣り竿が立て掛けてある所を弟と悪ふざけで、ピョンピョンと飛び跳ねた。
  もうじき釣れそうな釣り竿を蹴ってしまった。
  そしたらすごく怒って『何をするんだ』、弟と私は一目散に逃げた。
  なんで釣りをする人はこんなに人が変わってしまうんだろう。
  そこはよく鯛が釣れる、時々海水浴をしながらたまに鯛を釣った事がある。
  今釣り竿が揺れたぞ、と思う時に引くと、鯛がいっぱい釣れて、
  すごく父が嵌る気持ちがわかるな、と思った。
  家に帰って父が料理をしてる時にまだ動いている鯛がいて、
  家の池で飼えないものかと思って、一生懸命ストローでエラに息を吹きかけてたら元気になった。
  元気になったらから頑張れば家で飼えると思ったが、良く考えたら二酸化炭素を吹きかけていた。
  池に戻せるかもしないと思ってたら、夕食に出て来て悲しかった。
  父が年をとってからも、癌で闘病中も最後の最後まで、釣りと聞くと元気に出掛けていたので、
  今でも実家に帰る時とか、ツアーで新幹線に乗り浜名湖を通ると、
  今でもそこに父の魂が居て、すごく楽しそうに釣りをしているではないかと感じてしまう。

  
   ♪ 月が泣いた夜 ♪
  





『魅力! 女子力』 西日本版 2016.3.19


   
  これまでリリースされたアルバム、トータル数600万枚を超えるセールス。
  たくさんの作品を生み出す活力
    基本的には音楽が、物を創るのが好きで、締め切りがあるから創れる。
    常にアンテナを張り巡らせて引っかかったことを昇華してる。
    犬の散歩をしながらメロディが出てきて、鼻唄を一晩寝て翌日覚えてたら、作品に。
  30年間の中での励み、エピソード
   ライブに来られた人の一言(わかりますとか、いつも応援してます)で明日も頑張ろうとか、
    ふたりで新たな生活をしようと引っ越した時総菜屋さんの帰り、
    満天の星を眺め眺めながら娘の手の温もりを感じながら頑張ろうと思った、。 
   色んな理由で二度と再会出来なくなる事が、この年になって多くなった。
   人との出逢いは一瞬一瞬、一期一会であり、この瞬間や出会いを大切にしていかないとならない。
   感謝の気持ちとかを最近芽生えるようになった。

  ♪ 電車 ♪

  岡村さんの曲に勇気づけられた、励まされたとのメールが多い。
  メール~昔落ち込んでる時に『微風』に救われた。
   『負けない 逃げない 意思を持つ 誰もがひたむきに今日を生きている』のメッセージか好き。

  自分の中にある意思めいたものを表に出そうと創った、アルバム『私の中の微風』の一曲。
  23,4(歳)の頃は年を重ねると色んな事が見えてくるので、
    オブラートに包んで書くように変わって行ったけれど、
    若い頃は『あなたのカユイところはここじゃないですか』と、
    掻きむしるみたいな原曲という書き方をしてきた。
  特にこの『微風』という言葉の中には意思を持ったあなたが好きという言葉が入ったりするが、
  鋭い言葉がビシビシと入ってて、ライブで何年振りかでこの頃の歌を歌おうと思うと、
  自分がその言葉が刺さって『痛い、痛い、痛い』と思ってしまう。
  若い頃の歌を今歌うと『すみませんでした』と。
  あの頃の私は今の私を見て何と言うのかな、と。『すみません』と言ってしまう。
  何でも言葉にしてとにかく『見えるものを見えると言える』年齢だったので、
  でもだんだん色んな経験をして自分でも『イタタッ』と思えるようになった。
  色んな経験をしてくると、答えはひとつだけじゃないんだな、とわかってきた。
  今は『引き出し』が増えたが、若い頃は『答えはこれです』と。
  そのうちそういう曲も書けたらいいな、と思う。   
  今は包容力がある。

  ♪ 微風 ♪






Blu-ray『 ENCORE Ⅷ 』 届く

羽咋の整理もままならぬ今日、『 ENCORE Ⅷ 』が届きました。
先着特典『A5クリアファイル 』『B2ポスターサイズ2016年カレンダー 』の選択で、
『B2ポスターサイズ2016年カレンダー 』を選んで正解でした(^_-)-☆
『カレンダー』というより『B2ポスター』です。
小部屋のどこに貼ろうか、至る所から孝子さんの視線が、、、、、。



  ブルーレイ、プレーヤーが無ければ、ただの箱。

しはらく『箱状態』が続きます(^-^)