岡村孝子 2016/03/27 あの頃ミュージック 26回目 化粧をするかもしれない娘の買い物で、遠い昔の自分を思い出した。 ♪ 夢をあきらめないで ♪ テーマ「卒業」、たくさんの投稿。抽選の結果、サイン入り特製ポストカード。「卒業」は、保育園とか小学校、中学校高校とたくさん卒業を経験して、一番印象深い卒業と言えば、中学校です。それまでは同じ地域の同級生たちが、学年は上がってみんな同じ学校に進んで行った。卒業式って悲しいというよりも、学年が上がって新しい学校になったら楽しいな、どんな出会いがあるかな。中学の卒業式で初めて進路がばらばらになって、高校に行くと同じ中学から行く友達がすごく少なくなる。どうなるんだろうとかちょっと不安な気持ちがしたり、仲の良かったボーイフレンドが、初めて違う高校に行ってしまうというので、ちょっと寂しいなと。もうこれで交流は続いて行かないんだろうなと、思いをしたことを覚えている。以前番組で高校の卒業旅行で親しい友達4人か5人で、卒業してから鎌倉に日帰りで旅行に行ったというお話をしたかも。実は大学卒業していないので、自分の中でとっても引っかかっていて、歌の中でも『卒業証書と名の付いたそういう卒業』『卒業と言う名の付いた卒業証書が欲しい』かな。『けじめと名の付いた卒業証書が欲しい』の歌詞が出てきた、『電車』という歌で、それぐらいプロのシンガーソングライターとしてデビューしてからも、夢の中にああ単位が取れないとか、卒業できないっていう夢を何年も経ってから見てしまった。それぐらい自分の中で卒業しなかったっていうのが、ネックだったのかと思った。娘にも大学はきちんと卒業した方がいいよって言ってしまった。でも今となっては別に卒業したとか卒業しなかったとかってあんまり関係ないかな。このぐらいの年齢になってしまうと、それからの人生の方がずっと長いので、何かあった後にどう生きるかという事の方が大事かな、思ったりもする。23歳でソロデビュー、20歳であみんとしてデビューして、音楽を30年近くやらせて頂いて、最初マイクを置く日にはこういう歌を歌おうとか、マイクを置く時には自分の地元の愛知県岡崎市でコンサートをやろうとか、色んな事を考えていた。最近あっちこっちで生涯現役を掲げてしまってるので、歌い手としての卒業と言うのはないのかもしれないと思っている。アルバムのレコーディングで参加して下さった松原正樹が亡くなった。闘病してた事を全然知らなかった。2年前のレコーディングでお逢いしたのが最後で、次のレコーディングで一緒できる、と思ってたので、そんなに声も交わさないまま、きちんとご挨拶出来ないままお別れになってしまった。すごく悲しいな、と思った。出来る限り自分が元気で歌える限り、ステージもレコーディングも続けたいなと思っているが、なんとなく身体が動かないぞ、と思ったら、大好きなミュージシャンや逢いたい方と一緒にレコーディングでみんなで顔を見合せながら、『ホントに楽しかったね』と想い出を創るのもいいのかなと、思ったりもしている。今のところ私とっても元気なので、生涯現役を目指しながら頑張って行こうかな、と思っている。 ♪ 卒業 ♪ ♪ Believe ♪ 昨年度卒業ソングランキング2015 ~ 一曲も入ってなかった、寂しく思う。 来年こそは20位以内に『夢をあきらめないで』が入るようにがんばります。 どうやったら入るんですかね。 娘と2人で新しいスタートを4歳の時に決めたが、その時行事ごとや体育会にはできる限り出る。ツアーに出たりで家を空けることがとっても多く、子供が4歳くらいの時に、何日も家を空けてしまう事があっても、寂しいとか仕事に行かないでと娘は一言も一応言わなかった。中学校の時はそのまま上がったので、親(私)は卒業式には参加できなかった。一応18歳になるまでは自分できちんとしたいなということで、高校を卒業して、これで何となく自分の役目は無事に済んだなと、胸をホッと撫で下ろしている。何かの節目に自分の娘の成長の具合を自分の目で確認できるというのは、本当に嬉しい事です。 私も浪人したし、それから大学も卒業していないし、転んだりつまづいたり色々してます。きっと長い人生の中でまわり道って、1年や2年大した事ないと思う。 新潟県の『海に輝く星』さん。いつもラジオでお会いするのを心待ちにしています。(ありがとうございます)さて私の住む北国でも雲間から降りる日差しのカーテンが、優しい春風にそよぐ季節となりました。私が自動車運転免許を取ったのも30年前の今頃でした。当時は教官が厳しく怖くて、合宿先を何度逃げ出そうと思ったことか。けれど私には誰にも負けない希望の灯がありました。それは大好きな孝子さんの曲を聴きながら、海辺をドライブすることです。晴れて免許を取得後、孝子さんの曲を助手席に載せて意気揚々とハンドルを握ったあの日、お気に入りの歌声をバックに、弓なりの海岸線に並ぶ松の木がゆるやかな弧を描いて、サイドミラーの中に吸い込まれて行く、あのまばゆい日が忘れられません。ドライブでよく聴いた『微風』をリクエストします。 と言うことで、『海に輝く星』さん、相変わらずもう詩人ですね。本当に素晴らしい文章、私もこんな詩は書けませんね。いつもすごいなと思います。でも私も『微風』という曲は、ハンドルを握りながらドライブをしながらと言うか、車を運転しながら、時には助手席に座りながら詩を書きました。 ♪ 微風 ♪ あいうえ 岡村孝子お題は『つ』で『釣り』 小さい頃釣りの大好きな父に付いて浜名湖へ行った。 釣りをしている父の近くで、弟と海水浴をしていた。 気が短い父に怒られた経験はなかったが、 ご飯を食べる時に肘をついていたら、何も言わず手が飛んで肘を払われる事があった。 釣りが好きな人が釣りをするとこんなにも変わってしまうのかな、とビックリする事があった。 釣り竿が立て掛けてある所を弟と悪ふざけで、ピョンピョンと飛び跳ねた。 もうじき釣れそうな釣り竿を蹴ってしまった。 そしたらすごく怒って『何をするんだ』、弟と私は一目散に逃げた。 なんで釣りをする人はこんなに人が変わってしまうんだろう。 そこはよく鯛が釣れる、時々海水浴をしながらたまに鯛を釣った事がある。 今釣り竿が揺れたぞ、と思う時に引くと、鯛がいっぱい釣れて、 すごく父が嵌る気持ちがわかるな、と思った。 家に帰って父が料理をしてる時にまだ動いている鯛がいて、 家の池で飼えないものかと思って、一生懸命ストローでエラに息を吹きかけてたら元気になった。 元気になったらから頑張れば家で飼えると思ったが、良く考えたら二酸化炭素を吹きかけていた。 池に戻せるかもしないと思ってたら、夕食に出て来て悲しかった。 父が年をとってからも、癌で闘病中も最後の最後まで、釣りと聞くと元気に出掛けていたので、 今でも実家に帰る時とか、ツアーで新幹線に乗り浜名湖を通ると、 今でもそこに父の魂が居て、すごく楽しそうに釣りをしているではないかと感じてしまう。 ♪ 月が泣いた夜 ♪ PR