忍者ブログ

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


あの頃ミュージック33回目


  もうすぐコンサートツアーT's GARDENが始まります。
今 日々個人リハに励んでいるところです。

  ♪ 1日 ♪  


  テーマ 『花 フラワー』 

  私が小さい頃は平屋のお家で、半分ぐらい庭がありました。
芝生の方には花より木がたくさんありました。
花が咲くのがちょっと遅い八重桜があって、桜の季節が終わった頃から長い間楽しめた。
他にもみかんの木が2つ、柿の木や金木犀、もう本当に季節ごとにいろいろな匂いがあった。
奥の方にはぶどうの棚もあり、虫が付きやすいので白い紙を被せたり、薬をあげたり結構大変だった。
今東京でマンション暮らしをしてると、家の中に花が無いとちょっと淋しい。
家の中で時計草クレマチスの鉢や蘭であったり、ポインセチアの鉢を置いて楽しんでる。
以前ベランダでトマトを育ててたら、すごく虫がたくさん来て大変だったので、トマトは諦めた。
家の近くにいろいろな一年中花々が咲き乱れている道路があって、
ジョギングや花を楽しみながらの人もいて、なかなかいい所に住んでる。
何年か前に2年間だけ東京郊外に住んでいた。
庭の付いている一戸建てをお借りして住んでいた。
近所の家も季節ごとに花が咲き誇っていて、この季節ハナミズキはもう終わってしまったのかな?
住んでいた家の垣根を時計草が囲んでいて、生命力があり冬以外は紫色の花を咲かせている。
私も頑張ろうという気持ちを押してくれていた。
私は23歳の時に東京に出て来た。
両親がその八重桜の花がはらはらと散る季節に、東京に出かけて行く私を笑いながらも、
この娘は2度と戻ってこないのかもしれないな、思ってたと思うんです。
笑顔で頑張ってねって見送ってくれました。そんな八重桜が出てくる歌です。

  ♪ 晩春 ♪  

  ♪ ひまわり ♪  あみん


  薔薇素敵ですね。読みながら思い出した。家の庭にも薔薇がありました。
普通のバラと福井県で青いバラを父がいただいてきた。
ツツジもあったし松もあった事を思い出しました。

  サボテンの花と言えば枯れない花と言われてますけど、私はサボテンの花を枯らしたことがある。
でもサボテン、ゴメンねって言って水をぶっかけて 置いておいたら、ちゃんと咲きました。
やっぱサボテンってすごいな。

  花言葉 スターチス ?
  誕生花、私1月29日ってコケなんですよね。何かありがたくない♡と思った。
縁の下の力持ち的なそんな感じ、あまり表に出るの向かないんでしょうか。

  作品作り、曲が降るというか神が降りてくるというか、余裕がある時はそうしてた時期もあります。
でも散歩で、頭の中に浮かんだ鼻歌で浮かんだメロディーを一晩寝て、翌日覚えてたらそれを録音する。
詞もなるべく鼻唄交じりに作ろうかなとは思ってるけど、締め切り前日に鉢巻きを絞めながら書いている。
何年かに1回ぐらい神が降りてきて鉛筆が書いたんじゃないか。
1分2分で詞が書けてしまった『無敵のキャリアガール』はそんな感じに書きました。
そういうふうに書けると本当に楽かな。


  さすがに自分のレコードは捨てられないので、昔からのレコード持ってます。
初めて買ったのは森田健作さんの『友達よ泣くんじゃない』だったと思う。
父がレコード、ステレオとかすごく好きで蓄音機みたいなものを集めてた事がある。
実家の物置にあるのかな。



  ♪ Baby Baby ♪

  
 『あいうえ 岡村孝子』  お題は『も』


 『盛り上がる』

コンサートの後半のアンコールで盛り上がってきたところで、
お客さんが手をこう右左に振る、もうずっ~と憧れていた。
アレをやりたいということで、『ずっと』と言う曲を2011年、5年ぐらいに書きました。
沖縄の野外ライブでその時に初めて『もう今日限り今日だけのお願いです』と。
皆さんが手を振ってくれて、ムーミンに出てくるニョロニョロみたいですっごい綺麗なんです。
もうそれを見たいがためにコンサーをやっていると言っても過言ではない。


  ♪ ずっと ♪




PR

あの頃ミュージック32回目


  テーマ 愛知県


  「LOVEあいちサポーターズ・あいち音楽大使」に任命されまして就任した。
東京事務所で大村知事から直接委嘱状と『あいち音楽大使岡村孝子』と書かれた名刺をいただきました。
小学校の6年生の時に読書感想文を書いて、県で表彰されて以来でした。
大村知事といろいろなお話をさせていただいて、和やかにあっという間に時間は過ぎていった。
撮られた写真は緊張してこわ張った顔で、もうちょっとにこにこやかにすれば良かったな。
34年も音楽活動をしているのに、全然写真とか慣れなくてすみませんという感じ。


♪ ホームタウン ♪  

♪ ふるさとにて ♪


  20歳か21くらいで大学に戻った時に岡崎市で免許を取りました。
1~2年ポピュラーピアノを習うため毎週1回岡崎から名古屋まで、高速も使って車で通ってました。
東京に出て来てから、運転するのが怖くなって、ペーパードライバーになってしまった。
あの頃は国道1号線もトラックがすごく多くて、ちっちゃな車で一生懸命運転してた。
道路が割りと広くて運転しやすかったせいもある。


  愛を知ると書いて愛知県!!なんて素敵な県名でしょう。
岡崎は語尾に『じゃん』『だら』『りん』がつきます!
『こんど天野っちが愛知のサポーターやるらしいじゃん』
『天野っちって、岡崎の出身だらぁ』『地元の宣伝、頑張りんよ』って感じです。
私も岡崎市出身なのでこの「じゃん」「だら」「りん」よくわかります。
『皆さんもぜひ愛知県へ来てみんね ♡』


  掛川のホールはステージから見て、ステージを囲んで席が円のようになってる。
1列目までの間が何か10mぐらい離れていて、ステージからお客さんが最初よく見えなかった。

 ♪ TODAY ♪  


『あいうえ 岡村孝子』 お題は『る』

  私は「ルース」という名前の犬を以前飼っていました。
ソロデビューをして30歳ぐらいの時に初めて飼った犬です。
いつもレコーディングとかとっても孤独でさみしいというか辛い作業だったり若い頃はした。
ルースが来てからは私が朝方まで詞を書いていたり曲を書いてると、ソファーの上で待っててくれた。
本当に私の音楽活動を精神的な部分で支えてくれてた犬なんですね。
実は西インド諸島のモンシュラットと言う所でアルバム「After Tone」のミックスダウンをした。
24~5歳の時でそのスタジオの支配人で、イボンヌさんと言う素敵な女性がいらっしゃいました。
そのイボンヌさんの2歳になるお嬢さんがルースちゃんと言う女の子。
目がくりっとしたその女の子がすごーく可愛くって、そこからルースと言う名前をもらいました。
ルースちゃんを注意する時に、プリーズと言うのをまず付けて、何々してちょうだいねって言う。
ルースちゃんがちゃんと従うと、サンキューってありがとうっていう言葉を必ず言ってた。
たった2歳の女の子に1人の人間として接してて、その親子関係がいいな、なんて思った。
私20代だったけど、いつか自分に子供ができたら、そんな親子関係を築けるといいな。
親になったら、これしちゃダメあれしちゃダメってすごく怒ってしまって、なかなかうまくはいかない。


  ♪ looking for dream ♪  





あの頃ミュージック31回目


  テーマ 『初任給』
  


  ゴールデンウィークですね。
  

  ♪ ミストラル ♪  

  あみんの時は大学生だったので、給料では無い、ご褒美みたいな感じ。
私は詞とか曲を書いてるので、印税という形なんです。
給料の形でもらったのが、東京に出て来てソロデビューをする準備をしてる数か月間だけだった。
23歳の時に東京に出て今から音楽を始めようと、都立大学という所に住んでいた。
大学教授の敷地内にある、その方が所有している新築のアパートに住んで、曲作りなどの準備を始めた。
そこの家賃を払っていただいて、それ以外にお小遣いで4万というお金をいただいた。
デビューする前の短い期間だったので、洋服だったり交通費だったりで、ほとんど食費です。
初めて自炊をした時には計画性無く、月の後半になると『あれっ無い』みたいな感じが多い。
やりくりして行く中で、おかずがキャベツ炒めが多くなっていった。
(お金が)無くなっていくと『ハコ何か一緒に食べよう』と言って、一緒にご飯を食べに行った。
スタッフの方がすごく気を使って、曲の打ち合わせでディレクターに食事に連れて行っていただいたり、
仕事が終わる頃にスタッフについて行ってご飯を食べた。
アルバムが形になった時や、音楽の仕事をして生きていけるようになった頃に、
ここまで育ててくれてどうもありがとうございますという気持ちで、両親にお洋服をプレゼントした。
新幹線のチケットを買って、『手伝いに来て』の形でチケットをプレゼントした。
全然プレゼントになってなかったかも。
無理からに選曲してみました。
まだデビューする前の一人暮らしの時仕事が終わって、
夜部屋に帰って泣きながら書いた曲です。聴いてください。


  ♪ 今日も眠れない ♪
  
  あみん ♪ 神様のご褒美 ♪  



  声を聞いていただけていない間に、進化してしまっているかもしれませんけど、
こういう私になっていますので、これからも変わりなくよろしくお願いします。
何言いたいんでしょうね。


  茨城県のシエルさん
コンサートで歌われることが無く、ラジオ番組でもかからない隠れた名曲『ひとりごと』をリクエスト。

  ピアノ演奏は孝子さん、チェロ演奏は溝口肇さん。
コンサートは無理とあきらめられてしまってるけど、あまりかからない、あまり歌ってない曲あります。
『私はここにいる』とか『ついてない』とかね、避けてしまったりする。
この曲私が弾き語りをして、一発でせーのと弾きながら歌って、
それを録った後で溝口肇さんにチェロでダビングをしていただいた。
溝口さんとお会いしてないが、とっても素敵な方です。
いわゆるダビングの時にディレクターが呼んでくれないんですよ、私を。
私が行くとアレンジャーさんやミュージシャンの方がおしゃべりをして進まないから、
レコーディングが遅れるから来るな。
詞を書かなきゃいけなかったり締め切りがあると、来ると岡村さんは遊ぶから家で書いてなさい。
なかなか声をかけていただけなかったりで、溝口さんお会いしたかった。
えっと私この曲(ひとりごと)好きですよ。避けているわけじゃないんです。
でもコンサートで歌おうとすると、弾き語りしなけりゃいけないから。
いつか歌ってみたいと思います。


  ♪ ひとりごと ♪  


 『あいうえ 岡村孝子』 お題は『れ』

『レコード』最近はCD。
ソロデビューしてから3枚目くらい、初期の頃だけです。
私硬い音がすごく苦手、最近の音がクリアに聞こえて苦手。
どっちかって言うと太くて甘い甘い音、優しい音色(おんしょく)が好き。
レコードの音が大好きなんです。
昔シングルとアルバムがあって、どんなにアルバムがヒットしても、シングルが売れたことがなかった。
アルバムアーティストという呼ばれ方をずっとしてて、
アルバムで10曲そろって、その時考えてる今年の私の考えてる事はこんなことですよ。
今でも10曲聴いてもらえるとわかるかなみたいな感じで作ってる。

そして『レイン』
雨はすごくうっとうしかったりするけど、雨が降るかなと思う前日の匂いは嫌いではない。
何となく空気や雨の匂いがするから明日雨じゃないかな、そういう感じが好きで嫌いではなかった。
雨の季節の紫陽花の上にかカタツムリが這ってる、そんな光景が好きだったり、
レインコートとか傘とか長靴とかでおしゃれができる、その時期しかできないその一瞬がなかなかいい。


  ♪ Lady ♪ 

 
 初任給でDVDもブルーレイも購入してくださいね。スタッフからのお願いでした。





あの頃ミュージック30回目


  テーマ  連休


  .♪ TODAY ♪  

  私にとっての連休は、幼稚園に通う前は、弟と共に祖父母の家に、
母の実家が三重県の員弁郡、そして父は伊勢の方だった。
山と海に長いお休みは預けられて過ごしていたという話を、聞きました。
でも本当にちっちゃかった頃なので、自分自身は全然覚えてない。
学校に上がってからは忙しいなりに両親が時間を作ってくれて、
1泊とか2泊とかで家族で泊まりに行ったりはしていました。
東山動物園に家族で遊びに行って、その中で食べる平たい麺きしめん。
かまぼことおかか、ネギがふりかけてあるその何の事のないけど、すごく美味しい。
デビューしてからは、ツアーが入ってお休みが取れなかった。
子供が生まれてからの小学校中学校の頃は、カレンダーどおり。
お休みの中にぽつんと平日があると、前半に温泉に行ったり、それからデイズニーランドに行く。
そんなゴールデンウイークを過ごしていたと思います。
今年は娘がお友達を家に呼びたいと言っているので、お家の掃除を一生懸命しようと思う。
また愛知の方に帰ってみようと思っています。
『LOVEあいちサポーターズ あいち音楽大使』というのを今年からやらせていただく。
愛知県良い所たくさんありますので、愛知にいらしてみてはいかがでしょうか。

  ♪ 1日 ♪  

  ♪ 天晴な青空 ♪ 

  尾張の津島天王川の藤祭りはちょっと知らなかった。
岡崎も藤棚とってもきれい、江南の藤棚って本当にすごくきれいなんです。
岡崎の藤棚の話で、父が亡くなる前の最後の藤の季節に岡崎の藤棚見に行った。
桜の季節とか藤の季節に是非見に行きたいということで、
本当に人がいっぱいでその時も田楽の一番行きたかったお店は運の悪いことにお休みだった。


  犬を連れて目黒川の桜の花、本当にきれいでした。


  ♪ ずっと ♪

  
『あいうえ岡村孝子』のコーナー 『へ』

  生き物の中で一番苦手はヘビなんです。
ちっちゃい頃四季の変化が目ではっきりとわかる岡崎市という所で育った。
家の隣が田んぼだらけで、しょっちゅうしょっちゅうヘビが出た。
庭を歩いていると目の前をひゅるひゅるひゅるって歩いて行ったり、
学校へ行く道をショートカットしようとして、田んぼの中の土手の道を歩いて行こうとしたら、
直径何センチくらいかな、15センチぐらいとかもっとあるかな、
すごく太い1mぐらいのニシキヘビが横たわって、
慌てて跳んでウワッ~って逃げて行った。
『シソンヌ』というお笑いのグループのヘビって言うネタが、滅茶苦茶面白くて大好きで、
娘と動画を見ていたらもう大好きになってしまって、テレビで見たいなと思っています。
続いてはヘアー。
ヘアーカットとかヘアー、私ボブヘアーのイメージが強いかもしれない。
実はあみんでデビューする前のポプコンの予選会の写真を見て、『あらま』ってびっくりした。
ソバージュヘアーに初めてパーマをかけて、それが予選会の時の写真で残っててびっくりした。
もじゃもじゃな感じで、『誰これ???』みたいな感じだったけど、あまりにも不評でした。
本選会に出る前に短いボブおかっぱにして出たので、それでグランプリをいただいた。
あの表彰状をもらってるところ、歌ってる写真映像が世の中に流れたので、
きっと短いボブおかっぱのイメージが強いんじゃないかな、と思います。
でもデビューしてからも実は周期的にヘアースタイルを変えていて、
ショートヘアーにするとすごーく不評で、ジャケット撮影をする前に一生懸命伸ばした。
私髪の毛が伸びるのが普通の2倍ぐらいの早さで、
次のジャケット撮影をするまでに伸びて、皆さんの目にはボブヘアーしか映らない。
その間は意外といろんなヘアースタイルをしています。
そして最近は江黒美香さんというヘアーメイクさんに、ずっと来ていただいているんです。
江黒さんは顔の形を把握してて、顔の右側の前髪をすごくうまい具合に下げてくれて、
顔の形がしっくりくるようにいつも切ってくださる。
次に出すベストアルバム『Do Yy Best2』は、ちょっと懐かしい写真になるかもしれない。
どんなジャケットになるんでしょうか、私も今から楽しみです。

  あみん♪ ペパーミントの香り ♪





あの頃ミュージック 29回目


  先日羽咋でコンサートをした時、金沢の夜食べたお魚が美味しかったので、また行きたいな。
ゴールデンウイークは混むので、ちょっと違う時期に。

   ♪ 感謝の気持ち ♪  


  テーマ ペット

  昔から犬に縁がありました。
短い時期、インコとか九官鳥とかうさぎを飼ってた。
一番最初の犬覚えてないけども、アルバムを見るとポメラニアンと一緒に写ってました。
2歳か3歳とかそのぐらいかな、そこから始まって次はシェパードを飼って、
ベルっていう犬を飼って、インコ、九官鳥を飼って、
そのあと中学生ぐらいの時、隣の家で生まれた柴犬を購入をしてジュンっていう名を付けた。
ジュンが子供を2匹産んでレイとベアーと3匹の柴犬を飼ってした。
外で飼う犬だったので、一度自分のベッドの中で一緒に寝てみたいとか、
家の中で飼いたい気持ちがずっと強かったので、
ぬいぐるみのワンチャンを大事に大事に持っていつも一緒に寝てた。
でも本当にぬいぐるみの耳が、大事にし過ぎて取れてしまった。
もうヨレヨレになってたので、ある時もうもうじき中学生になるからもうこれは捨てましょうと。
学校から家に帰って来たら捨てられていて、何かそれがものすごくショックだった。
それから時間が経って、東京に出て来て音楽を始めて30歳になった頃、
キャバリアキングチャールズスパニエルと言う種類の犬を飼いました。
ルースって言う犬で、初めて家の中で飼って一緒におふとんの中で寝てみると、
犬って家族だなぁって感じるぐらいに愛情を注いであげると、向こうも色んなものを返してくれる。
私が曲を夜中まで朝方まで書いていると、ソファーの上で待っててくれる。
やっぱり12時過ぎると、犬も眠いみたいで先にベッドに上がって寝てたりもしてる。
気付いたらそのちっちゃい頃に捨てられたぬいぐるみの犬そっくりだったんですね、ルースが。
すごく愛情を注いでいたので、こうやって犬に姿を変えて戻ってきたのかな、と思った。
やっぱり犬とかペット飼ってしまうと家族の一員ですね。

  海に輝く星さんからのリクエストで ♪ 白い夏 ♪  

  ♪ ありがとう ♪  


  インコをよく籠から出して手のひらとか肩に乗せて遊んだが、うちのインコは逃亡しました。
あの籠からもうそろそろ慣れてきただろうって出すたびに、逃げましたね。
黄色いインコを飼ってた時に、前のお家の柵に黄色い長靴が被せて干してあって、
仲間と思って、その長靴の上に飛んで行ってそこから逃亡してしまった。
九官鳥の話をしようとしていたのに忘れてしまった。
九官鳥のキュウタロウというのを飼っていた、
キュウタロウすっごい頭良くって『おはよう』も『こんばんは』も『ありがとう』も言いました。
お客さんが来ると「はーい」って返事したし、
電話がかかってくると『岡村です』は言えなく『はーいオカモウです』って言ってた。
すごく頭が良くて、手にこう鷲掴みに乗ってくれて、すごくなついて家族のアイドルでした。
最後具合が悪くなって、死んじゃう前に手のひらの上に乗って、
『おはよう』と『こんばんは』がわからなくなって『こんばんばんは』とか、
不思議なこと言い出したなと思ったら、眠るように逝ってしまいました。
うちの九官鳥は家族一人一人をちゃんと認識していたみたい。
黒くてカラスにそっくりなのに、何でこんなに賢いんだろうって思っていたら、
最近家の電柱の近くにいるカラスもしゃべるってことわかりました。
『はーい』とか言ったりとか、ドリルの『ダッダッダッダッダッダッダッ』とかを言ってた。
鳥って結構しゃべるもんなんですね、ということが判明しました。


   谷山浩子さん ♪ ねこの森には帰れない ♪

 

  私が小さかった頃、平屋で庭に芝生の庭と、ちょっと大きめな池があった。
大きな鯉をいっぱい飼って、お祭りで金魚をすくって来て入れたが、翌日後居なくなった。
金魚すくいを娘が大好きで、ちっちゃな金魚鉢しかない。ちゃんとした水槽じゃないので可哀そう。
昔は屋台にカラフルに染められたひよこがいて、ついつい買って来てしまった。
チャボを買ってちょっと大きくなって様子が変わって赤いトサカが出て来てしまって、ビックリ。
チャボは凶暴。
餌をあげにいくたびに突かれて追いかけられた。
もうイヤとか思いながらも、大きくなって卵も産んだのもいました。
欲しいって言ってくださる方がいらっしゃったので喜んで差し上げた。


  マイクの前で優しく、一生懸命テンパりながら話してる。
昔は結構手書きのハガキが多くって、字を見るとあっあの人だととか、すごくよくわかった。
でもメールも何となく文章のリズムで、あっこれはあの人だって、何となくわかります。
桜を写メをしてる方たくさん見かけます。
私も千鳥ヶ淵とかいろいろな所に毎年撮りに行ったりする。
ハッピーという家犬と2年前の3月21日に亡くなって、
家族中がもう本当に光を失くしてしまったけど、あぁこんなことではいけないと思って、
家の近くの桜がきれいな場所があって、気分転換にそこに見に行こうということで母と娘と行った。
咲き誇る桜と共に3人写メで写した写真が今でも残っている。
その時の3人の顔がその時ばかりは泣き笑いみたいな。
一生懸命笑ってるけど、まだハッピーのお別れから立ち直ってない。
3人の表情が今でもケータイの中に残っていて、それを見ると思い出します。

  『Reborn』は懐かしい昔を思い出すような気持ちで書いた曲です。

『あいうえ 岡村孝子』 お題は『よ』

ヨーロッパについて話してみようかなと。
初めてヨーロッパに行ったのがソロデビュー23歳の時、事務所の社長から『ちょっと勉強してこい』

寺院とか行くと悪いものを背負ってきてしまうとのことで、
毎晩お祓いを始めて紙で体をこすり始めたりとか、部屋の四隅にお塩を盛ったりして、
ベッドの横にお塩が高く盛られていて、怖いなと思いながら寝ていた。
そういう事があってちょっと怖かったと、ソロデビューしたあるコンサートツアーで言ってしまった。
そうしたらお手紙をいただきまして、何と『それは私です』と、そのスタイリストさんが見に来てた。
あちゃー、という経験をしたことを覚えています。