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大塚製薬株式会社「カロリーメイト」

 大塚製薬株式会社「カロリーメイト」

   「見せてやれ、底力。」篇
    使用楽曲:「夢をあきらめないで」
    歌唱:Anly(アンリィ)
    放送期間:2015年10月24日~

  女優・平祐奈さん演じる受験直前の女子高生が、受験までの1年間の奮闘ぶりや様々な学生生活での出来事を
  振り返るストーリー。カロリーメイトから、受験生へ贈る応援メッセージです。
  総勢34名もの美大生たちが、総制作時間のべ2,623時間以上かけて制作した総数6,328枚にも及ぶ黒板アートの
  アニメーションで表現。友だちとの時間や勉強、家族とのやりとりなど、リアルな高校生の日常生活を描いています。

  ※TV-CMはこちらでご覧いただけます。 http://www.otsuka.co.jp/cmt/cm.php








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虹のパレット:30周年イヤー楽しもう!


    虹のパレット:30周年イヤー楽しもう!


                                                 毎日新聞 2015年11月23日 地方版

 ソロデビュー30周年イヤーに突入しております。「あみん」を入れると33年。

 初めは淡々と、いつもと変わりなく目の前の事をこなして行こう!と思っていたのですが、「これってすごいことじゃない?」と気付き方針変更。長く歌ってこられたことに感謝しつつ、思いっきり30周年イヤーを楽しもうと思ってます。だって40周年の時、元気かどうかわからないし……(笑)。

 思えば長いこと音楽を好きでいられたなあと感心します。そりゃ、曲がなかなか書けずにアルバムの締め切りに追われ、「もう、やめたい」と思ったことも幾度となくあったし、物を創る責任上、たくさんの人と出会い、若い頃は真面目に受け止めすぎる性格ゆえに傷つくことも数えきれないくらい(その逆もあったのであれば、ゴメンナサイ)。

 そんなガラスの20代、30代(40代)を経て、今や、さっきした会話すら「忘れちまったー」な、おめでたい50代の私。今ここにいられるのは、何かにへこむたび、気持ちを前に向かせてくれたり、物を創るのって楽しいねーと思うような、「HAPPY」をたくさんくれた周りの人たちのおかげです。

 小さい頃、「ピアニストやピアノの先生になりたい」という、漠然とした夢を持っていた私が言の葉の面白さに気付いたのは16歳の時。伯父がくれた辞典がきっかけです。伯父は進学校で数学を教える教師。小学6年の夏休みに、親友3人と共に電車を乗り継ぎ、他県の母方の祖父母の家に何泊か泊まりに行ったことがあります。その時、伯父は私たちを昼間は渓谷に連れて行ってくれて、くたくたになるまで川遊びをさせてくれました。そして夜になると部屋に長い机を置き、そこで夏休みの宿題のドリルをみんなに解かせて、きっちり勉強タイム。祖母の手作りのちらし寿司(ずし)を食べ、昼寝をした後、スイカを食べたこと。夜、布団を並べて寝ながら「林間学校みたいだねー」と友達と話した、あの夏の日を今でも覚えています。

 そんな厳しくて温かい伯父が、私が高校に受験で合格した時、大変喜んでくれてお祝いにくれたのが「故事成語辞典」と「ことわざ辞典」。「孝ちゃん、お休みの日とか、一日中ページを繰ってなさい。世界が広がって面白いよ」と伯父はイタズラっぽい笑顔を浮かべました。お祝いだから、もう少し勉強から外れたものでも良いのに……と少しがっかりしましたが。パラパラと暇な時に見ているうちに、まんまと伯父の策にはまり、言葉の持つ奥深さのとりこになってしまいました。

 なぜ、数学教師の伯父が「言葉」を私に選んでくれたのかは分かりませんが、あの時、あの辞典をもらっていなかったら私は歌詞を書くこと、シンガー・ソングライターになることに興味を持たなかったのでは?と思います。夢を見つけた16歳。

 30年近く一人歩きを続けるたくましい“子供”「夢をあきらめないで」が今、カロリーメイトのCMソングとして使われています。澄んだ瞳の平祐奈さん、カバーしてくれているAnlyさん、黒板アートの学生さんも(そして、うちの娘も)、みんな、ちょうど私が夢を持ち始めた10代半ば。伸び伸び、すくすくと夢に向かって歩いて行ってほしい、と思います。

 そして、私もまだまだ頑張りますよー。30周年だもん。(シンガー・ソングライター)

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 ■人物略歴

 ◇おかむら・たかこ

 1962年愛知県岡崎市生まれ。椙山女学園大学在学中に同級生の加藤晴子さんとデュオ「あみん」を結成し、82年に「待つわ」でデビューした。85年にソロデビュー。87年に発表した「夢をあきらめないで」はロングセールスを記録した。10月にソロデビュー30周年を迎えた。12月22日に名古屋・ダイアモンドホールでコンサートを予定。





岡村孝子 あの頃ミュージック 第五回

テーマ 愛知県

  愛知県で産まれ23才まで育った。
  両親はともに三重県。
  ただ父は東京生まれで、軍人だった祖父の関係で転々とし中学生になって伊勢。
  母は三重県員弁郡東員町。
  夏休み冬休みは伊勢と、東員町で過ごす。
  三河弁の同級生に『孝子のイントネーションがおかしい』と言われる。
  岡崎では赤出汁は八丁味噌だが、東京生活が長くなり今は合わせ味噌。
  唯一お寿司の時だけ、赤出汁味噌。
  子供の頃は近所の男の子と活発に行動。木登りはしなかった。
  中学2年から高校3年まで岡崎市のスポーツ少年団の乗馬クラブに入っていた。
  見かけはおとなしい、静かめの女性に見られる。
  割と男の子と一緒に運動してる事が多かった。
  岡崎の三大スターは、徳川家康 元レーサー中嶋悟 岡村孝子。
   その他 オカザえもん 天野ひろゆき
  ♪ ふるさとにて ♪
  学生時代は『地上を知らない』生活。
  愛知県出身者は数多く居るが、ほとんど面識がない。
  
メール
  Believe のリクエスト。
  マイクを置く時に歌うつもりだったが、生涯現役宣言してからは、時々歌っている。

あいうえ岡村孝子
  『か』
    家族 母と高校生の娘とチワワのりりぃ。
    傘  ロンドンでは傘を持たない。どんなに雨が降っても、忘れるから持たない。

    ♪ 肩車 ♪





晩秋の夕暮れ


  晩秋の夕暮れ。
秋の陽はつるべ落としとは言われながらも、
ゆっくりと一日を振り返る時間くらいはある。
いつの頃からか暮れなずむ夕景が、心を癒してくれている。
目を見張るような夕焼けを見ていると、いやな事も忘れシャッターを切ったり、
逆にシャッターを切るのを忘れて見とれている。
期待している時には、案外つまらない日没に終わってしまう。
そんな時はドッと疲れが増す。
逆にカメラを持たずに出掛けたり、電池切れの時に限って、
素晴らしい夕焼けに出くわす時がある。
自分の運のなさを思い知らされる。
悲喜交々である。








岡村孝子 あの頃ミュージック 第四回

テーマ 秋

   孝子さんの秋のイメージ

     木々が紅葉し、秋の花が咲き、五感が刺激される。
     運動会は秋。娘の小学生の一時期春の運動会、違和感あり。
     食物も美味しい。柿・栗・秋刀魚・松茸、一番の好物は温泉で食べる土瓶蒸し。
     歌の中では、春とか秋とかぼ~~っとした季節が好き。
     私の中では秋は恋が終わる、失恋することが多くてそんな感じのテーマがある。
     胸の奥が引き裂かれる、狂おしい。
     ハッピーなラブソング、明日不幸になるかもしれないので今を大切にしたい。
     そんな思いで書いた ♪「秋の日の夕暮れ」♪
     秋と言うとせつないラブソングを聴きたくなり、恋がしたくなったりする。
     私の中で1歩を踏み出すのは秋。
     以前、郊外に引っ越したが、秋って鼻の奥がツーンとして、
      空が高く、空気が澄んでいる感じがした。
     台所の小窓から景色が見えて季節がはっきりわかる。
     あの風景があったから、今のここまで歩いてこれたと思う。
     オフコースの「秋の気配」
       大学生の時にラジオから流れてくるこの曲の入ってるカセットを買った。
       男の人が「僕があなたから離れていく」という詞を聞いたのが新鮮。
       男性も心の中ではそういう心の動きってあると思った。
       すごく綺麗なメロディラインで好きな曲。
     さだまさし「秋桜」
     メール採用
      シエルさん、ラジオ番組、ファンとしてうれしい限りです。
      ラジコて聴いている。この番組で近況を毎週聴けるのは嬉しい。
      色々な地方のラジオ番組が聞けるということで、本当に便利な世の中ですね。
      Twitterやフェイスブックはしていない。私は機械が全然ダメ。
      思ったことをその場で出してしまうというのは自分のテンポに合わない。
      かみ砕いてゆっくり出していくというのが自分のペースに合っている。
      この番組で毎週自分のことを話していきますので、皆さん楽しみに聞いてね。
 
     ブラックコーヒーさん、
       20代の頃のコンサートですごく思い出深いのは、ミストラルツアーの頃、
       すごく疲れていて静岡のコンサートで声が出なくなってしまった。
       本当にくたくたで、コンサートの本番前 リハーサル前に、
       もうちょっと体が動かないというか疲れたなぁということで、
       長野の病院で点滴を受け、医者や看護婦に親切にしていただいた。
       20代の頃は今より10キロ近く細かったので、お医者さんに
       「こんなにやせてちゃ歌えないから食べなきゃだめだよ」と言われた。

     あいうえ岡村孝子のコーナー
       『は』です。

       ハワイは私の中でとっても大好きな大切な場所。
       20才代の時、一年で3回ツアーで忙しかった。そのお疲れ様会。
       昼間ゴルフ、夕方ディナーでちょっと軽く食前酒を飲んだ。
       夜お風呂でウトウトとして溺れそうになった事もある。       
       実はそのホテルにパワースポットがあって、
         今思うとそこでパワーをもらった。