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『雨上がりの虹』のように


   陽の入りの一瞬東の空が真っ赤に焼け、小雨降る中ボンヤリだが虹が出た。
慌ててカメラを持って外に出たけれど、すでに陽は西に沈み雲の中に虹は消えてしまいました。
虹って儚いですね、それだけに綺麗だし心に残ります。
虹を見るのって、何十年ぶりでしょうか。
もしや、良いニュースが今晩あたり飛び込むのでしょうか(^^)/~~~














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『あの頃』の孝子さん (^^)/~~~


  ライブ情報も出る気配なし(^_^;)
ひとりネットサーフィンで、こんな記事発見(^^)/~~~


  この頃の孝子さんには、まだ出逢っていなかった(^_^;)







【1982年9月】待つわ/女子大生デュオあみん 売れすぎて困ったことばかり



  ★82年9月ランキング★
1 待つわ/あみん
2 哀愁のカサブランカ/郷ひろみ
3 NINJIN娘/田原俊彦
4 小麦色のマーメイド/松田聖子
5 暗闇をぶっとばせ/嶋大輔
6 ダンスはうまく踊れない/高樹澪
7 けんかをやめて/河合奈保子
8 ハイティーン・ブギ/近藤真彦
9 6番目のユ・ウ・ウ・ツ/細川たかし
10 100%SOかもね…/シブがき隊
注目夢の旅人/松山千春
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【待つわ/あみん】

 岡村孝子と加藤晴子の2人は1位になっても浮かれている余裕なんて全くなかった。
それよりも目の前の心配で音楽どころではなかった。

 ヤマハのポプコンでグランプリを受賞した女性デュオ「あみん」が歌う「待つわ」は
7月25日の発売直後からトントン拍子で売れ、8月末にはオリコンチャートで1位に。
TBS「ザ・ベストテン」にもランクイン。
早くも2枚目のシングルの予定まで決まり、順風満帆だったが、
名古屋の椙山(すぎやま)女学園大国文科2年の学生である岡村と加藤は
9月半ばからの前期試験の準備が全然できていなかった。
「待つわ」の大ヒットでスケジュールはいっぱい。試験勉強は後回しになっていた。

 「私たちは芸能界に入ったわけじゃない。
      学生をしながら好きな歌を歌っていければと思っていたから」。
平凡な女子大生が連日マスコミの取材を受け、テレビの歌番組にも出演、
ラジオからはAM、FMを問わず自分たちの歌が流れない日はない。
突然の環境の変化は戸惑うことだらけ。
それでも次々埋まるスケジュールに抗うことが出来ずに時が過ぎていった。

 入学直後、岡村が加藤に科目の履修届の書き方を聞いたのが出会い。
やがて2人とも音楽好きだったことが分かり急接近。
岡村が自作の曲を聞かせたところ、加藤の心に響き、ポプコンに挑戦した。

 1年目、後に2枚目のシングルとなった「琥珀色の思い出」を歌ったが、
本大会には出場できなかった。
大学の裏山や岡村の自宅で練習し、2年目は「待つわ」でリベンジ。
デビューが決まった。
「あみん」という名前は、さだまさしの
「シナモンとパンプキンパイ」という曲の歌詞に出てくる喫茶店「安眠」から拝借したもの。
岡村はさだのヒット曲「雨やどり」を聞いて、歌の世界に興味を持った。

 レコード売り上げ102万枚。
82年唯一のミリオンセラーとなり、デビューから164日でNHK「紅白歌合戦」出場を決めたが、
出場が決まった日、あみんは記者会見を欠席。
大学のレポート提出に追われ大わらわだった。

 一大ブームを巻き起こしたあみんだったが、紅白から1年後には解散した。
3年生になった加藤が翌年に控えた就職活動を前に、辞めたいと言ったからだった。
「(芸能界は)私のいる場所ではない」と加藤。
岡村は加藤の考えを受け入れた。
「私が半ば強引に誘ってデビューした。ハコ(加藤)の気持ちを尊重したかった。
別の人と組んでとレコード会社の人に言われたけど、ハコ以外の人とのあみんは考えられなかった」と
岡村は振り返っている。

 岡村は2年充電期間を置いてソロデビュー。
その後の活躍は周知の通り。
加藤は就職、結婚、育児とすべて岡村の“先輩”となり、2人交流は解散後も続いていた。
07年、24年ぶりにあみんが復活。
歳月が過ぎても名曲「待つわ」は色あせていなかった。
                                                                                                             [ 2011年9月1日 ]   
 スポニチの情報

あみん




虹のパレット ~ 人を前に進める言葉紡ぎたい

    虹のパレット

                 人を前に進める言葉紡ぎたい

                                                                         毎日新聞2016年6月20日 愛知県


  わが家のリビングのテーブルの上の花瓶にはT'ガーデンコンサートの初日、
千葉県松戸市で頂いた花が咲き誇っています。
匂いたつ真っ白なカサブランカと、白と先端がうす紫のかれんなツリガネ草。
玄関に飾ったかご花の中でしおれかけてきたのを花瓶に移したら見事に復活。
あまりにもきれいなので毎日「きれいだね〜」と家族で声をかけていたところ、
もう2週間以上たったのに、まだまだ元気。
花の方も「ほら、見て見て!」と言ってるかのようです。何だか言葉がわかるみたい。


 そう言えば先日、うちの愛犬りりぃがサマーカットした時のことです。
耳の下の飾り毛が自慢のロングコートチワワのりりぃ。
カットから帰ってきたりりぃはボーイッシュな子ヤギみたい。
「男の子みたい」。笑いながら出迎えたところすっかり落ちこんだ様子。
しょんぼりしてカーテンの後ろで考えこんでいます。

 呼んでも恨めしそうに上目づかいにこちらを見上げたり、目をそらしてみたり。
飾り毛がお気に入りだったみたいですが、
何よりも「かわいいー」と言う言葉が大好きなりりぃ。
散歩中にどこかで誰かが他の犬に「かわいいわねー」と声をかけても
「私の事?」みたいに振り返って声の主を探してしまうほど……。
「かわいい」が大好きなりりぃにとって、
それ以外の言葉は心地良くなるものではなかったのでしょう。

 あまりに落ちこんだりりぃ。
信頼関係を失くしては大変!とみんなで「かわいい」と心から声をかけ、なでたり、
ハグを繰り返すうち、ようやく寝る頃には機嫌を直し、私たちもホッと胸をなでおろしました。

 植物や動物でさえ、こんな具合です。ましてや言葉のわかる人間にとって言葉とは……です。
この上なく自信になって前に進む力になることもあれば、
凶器になって人を奈落の底まで突き落とすこともあります。

 8年前に他界した父ががんで闘病中、何度も命の危機を迎えた時、
先生方や看護師さんたちに励ましてもらったと、とても感謝していました。
「もう少し頑張ったら、孫に会いに行けるよ」とか
「今回乗り越えたら、孝子さんのコンサートがあるよ」。
馬の鼻先のニンジンのように目標をくれた……と。

 病状を良く理解した上でも希望を持ち続けた父でしたが、
もう効果的な治療がなく、ついに緩和治療でホスピスを勧められました。
その頃、流行したテレビ番組「宮廷女官チャングムの誓い」に重ね合わせて、
時々見ていただく女医の先生が大好きだった父。
産休をする先生が「もう二度と会うことはないけど頑張ってね」と。

 ネガティブに受けとめた父とその日、帰宅して犬の散歩をしている最中、
田んぼの道にぺたりと座りこみ、「もう歩けない」とひと言。
涙こそ出ていませんでしたが、私はその時、
「あー今、父は心の中で泣いている」と感じました。言葉ってこわいな……。

 私もメロディーに詞をのせ歌う仕事をさせていただいています。
言葉は単なる言葉を越えて、独り歩きしていくことがあるなあ〜と感じる時があります。
それを肝に銘じて、
人を傷つけるのではなく誰かが前に進むきっかけとなるような言葉を紡いでいけたら……と思います。
                                                                       (シンガー・ソングライター)


 ■人物略歴

おかむら・たかこ

 1962年愛知県岡崎市生まれ。椙山女学園大学在学中に同級生の加藤晴子さんとデュオ「あみん」を結成し、82年に「待つわ」でデビューした。85年にソロデビュー。87年に発表した「夢をあきらめないで」はロングセールスを記録した。渋谷公会堂メモリアルライブを収めたブルーレイ「ENCORE8」を発売中。9月7日、ソロデビュー30周年記念ベストアルバム「DO MY BEST 2」発売予定。







あの頃ミュージック38回目西日本放送



   テーマ  ガーデニング


  ♪ 運命なら ♪

    小さい頃の実家の庭は二つに分かれていて、
  芝生と、池と庭木のある部分。
  小さい頃父が趣味で挿し木をしていて、
  その何百本の挿し木の朝夕の水やりを任されたが、
  小学生の身には面倒くさくて全部枯らしてしまった。

    マンションのベランダにはコンサートの時に頂いた鉢植えがある。
  母の日に娘がくれたカーネーションもある。

  ♪ 一期一会~ようこそ私の庭へ ♪

  ♪ あなたにめぐりあう旅 ♪

  メール 虐げられたお父さん~洗濯物は別?と孝子さん

  封書 ステージとは違うナチュラルな孝子さん
     『私の中の微風』からのリクエスト  ♪ 夏の日の午後 ♪


 『あいうえ 岡村孝子』  『ご』


  ゴイサギに遭遇した事件
  チョコポールのキョロちゃんに似た出で立ち。
  体長60cmくらいで優雅な足取りで歩いてた。
  バレリーナみたい、後ろ手に手を組んでた風。
  トトロが歩いてきたと思った、携帯で撮り損ねた。
  娘さんにも信じてもらえなかった。
  飼ってるペンギンだとか、リモコンで動くおもちゃだとか言われた。
  後日娘さんと二人で遭遇、可愛い。
  幻ではなかった、嘘でなかった。
  引っ越した当時、坪井さんに遭遇した。
  不思議な道なので、次は恐竜にも遭遇しないかな?

    ♪ ゴール ♪





好きな『横顔』


  先日『あの頃ミュージック35回目』では、
テーマ『お気に入りジャケット髪型』だったけれど、
正直言ってアルバムジャケットの髪型の違いってわからない。
『TEAR DROPS』の時に、バッサリと髪を切られた時には、
孝子さんの新しい門出にふさわしいと思ったくらいです。
  アルバムだけに拘らず、自分なりにお気に入りを掲載してみました。



liberte は孝子作品の原点だと思う。視線の先に何があり、何を思われてたのでしょう。



 この流し目に参ってしまいますね(^_^;) amingの時の孝子さん、との事です(^_^)




 『あの頃』といっても、いつ頃? 万人が可愛いと認めますね




 ネット検索って便利(^_^)vいくらでも孝子さんに 逢えますね