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『あの頃』の孝子さん (^^)/~~~


  ライブ情報も出る気配なし(^_^;)
ひとりネットサーフィンで、こんな記事発見(^^)/~~~


  この頃の孝子さんには、まだ出逢っていなかった(^_^;)







【1982年9月】待つわ/女子大生デュオあみん 売れすぎて困ったことばかり



  ★82年9月ランキング★
1 待つわ/あみん
2 哀愁のカサブランカ/郷ひろみ
3 NINJIN娘/田原俊彦
4 小麦色のマーメイド/松田聖子
5 暗闇をぶっとばせ/嶋大輔
6 ダンスはうまく踊れない/高樹澪
7 けんかをやめて/河合奈保子
8 ハイティーン・ブギ/近藤真彦
9 6番目のユ・ウ・ウ・ツ/細川たかし
10 100%SOかもね…/シブがき隊
注目夢の旅人/松山千春
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【待つわ/あみん】

 岡村孝子と加藤晴子の2人は1位になっても浮かれている余裕なんて全くなかった。
それよりも目の前の心配で音楽どころではなかった。

 ヤマハのポプコンでグランプリを受賞した女性デュオ「あみん」が歌う「待つわ」は
7月25日の発売直後からトントン拍子で売れ、8月末にはオリコンチャートで1位に。
TBS「ザ・ベストテン」にもランクイン。
早くも2枚目のシングルの予定まで決まり、順風満帆だったが、
名古屋の椙山(すぎやま)女学園大国文科2年の学生である岡村と加藤は
9月半ばからの前期試験の準備が全然できていなかった。
「待つわ」の大ヒットでスケジュールはいっぱい。試験勉強は後回しになっていた。

 「私たちは芸能界に入ったわけじゃない。
      学生をしながら好きな歌を歌っていければと思っていたから」。
平凡な女子大生が連日マスコミの取材を受け、テレビの歌番組にも出演、
ラジオからはAM、FMを問わず自分たちの歌が流れない日はない。
突然の環境の変化は戸惑うことだらけ。
それでも次々埋まるスケジュールに抗うことが出来ずに時が過ぎていった。

 入学直後、岡村が加藤に科目の履修届の書き方を聞いたのが出会い。
やがて2人とも音楽好きだったことが分かり急接近。
岡村が自作の曲を聞かせたところ、加藤の心に響き、ポプコンに挑戦した。

 1年目、後に2枚目のシングルとなった「琥珀色の思い出」を歌ったが、
本大会には出場できなかった。
大学の裏山や岡村の自宅で練習し、2年目は「待つわ」でリベンジ。
デビューが決まった。
「あみん」という名前は、さだまさしの
「シナモンとパンプキンパイ」という曲の歌詞に出てくる喫茶店「安眠」から拝借したもの。
岡村はさだのヒット曲「雨やどり」を聞いて、歌の世界に興味を持った。

 レコード売り上げ102万枚。
82年唯一のミリオンセラーとなり、デビューから164日でNHK「紅白歌合戦」出場を決めたが、
出場が決まった日、あみんは記者会見を欠席。
大学のレポート提出に追われ大わらわだった。

 一大ブームを巻き起こしたあみんだったが、紅白から1年後には解散した。
3年生になった加藤が翌年に控えた就職活動を前に、辞めたいと言ったからだった。
「(芸能界は)私のいる場所ではない」と加藤。
岡村は加藤の考えを受け入れた。
「私が半ば強引に誘ってデビューした。ハコ(加藤)の気持ちを尊重したかった。
別の人と組んでとレコード会社の人に言われたけど、ハコ以外の人とのあみんは考えられなかった」と
岡村は振り返っている。

 岡村は2年充電期間を置いてソロデビュー。
その後の活躍は周知の通り。
加藤は就職、結婚、育児とすべて岡村の“先輩”となり、2人交流は解散後も続いていた。
07年、24年ぶりにあみんが復活。
歳月が過ぎても名曲「待つわ」は色あせていなかった。
                                                                                                             [ 2011年9月1日 ]   
 スポニチの情報

あみん






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   孝子さんのご自宅で練習、
出場が決まった日、あみんは記者会見を欠席 との事も初耳です。



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