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オフィシャル更新~メール募集


◇ ライブメール募集のお知らせ ◇   NEW!

 コンサートでは毎回、皆様からのメールをご紹介させていただいています。 
 今回からはリクエストメールという形でのメール募集ではありませんが、
 引き続きコンサートの中で皆様からのメールをご紹介させていただこうと思っています。 
 岡村孝子の曲にまつわる思い出や、ニューアルバムやコンサートのご感想などございましたら、
 岡村孝子インターネットラジオ「T's GARDEN」宛にお寄せください。 
 尚、お寄せいただきましたメッセージはコンサートでご紹介させていただきますことを、
 予めご了承ください。

  メールアドレスはこちらです。  takakoclub_info@okamuratakako.com




  今まで何度かコンサート用にもメールは送った。
幸か不幸か採用はない。
ライブでメールが採用されるような文章力もないし、度胸もない。
万が一採用されたら、顔から火が噴きでるだろう。

ラジオやネットではたびたび採用され、孝子さんご自身に読んでもらったり、
アナウンサーに紹介して頂いたりはあった。


  孝子さんの『関西重要視』にお答えして、ライブ用に本気で書いてみようかな(^v^)






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秋のライブ情報


       秋のライブ情報を得てしまいました(^v^)

それも2県の2件です。

まだ先の話だし、オフィシャルにも出てない事なので、ひとりニヤニヤしています。

情報が確実になれば、どこよりも早く掲載します(^v^)

でもできるかな?





宅ふぁいる便



第29回 シンガーソングライター 岡村孝子の場合

音楽の神様は、待っているのではなく、
こちらから迎えに行くのも大事です

仕事インタビュー 私の職務経歴書





さまざまな分野で活躍する一流の“仕事人”にお会いし、
その人ならではの「職務経歴書」を作成するまでのロングインタビュー。
今回、登場するのは、シンガーソングライターの岡村孝子さん。

1982年、大学の同級生だった加藤晴子さんと組んだ「あみん」としてデビュー。
ヤマハポピュラーソングコンテストの優勝曲にしてデビュー曲となった
『待つわ』は、多くの人に支持されました。
今も、そらで歌えるという人も多いでしょう。

シンガーソングライター・岡村孝子としての活動は、
「あみん」が活動を停止して1年半後に始まります。
今回は、『夢をあきらめないで』の制作秘話から、
「あみん」再始動のいきさつ、
それから2013年3月にリリースされた
17枚目のオリジナル・アルバム『NO RAIN, NO RAINBOW』の話まで
さまざま聞いてみました。

岡村さんは、音楽の神様は待っているのではなく、
こちらから迎えに行くのも大事と語っています。
もしかしたら、これを読んだあなたも音楽の神様に
会えるかもしれませんよ。



自分で詞と曲を作って演奏する、
“シンガーソングライター”になりたかった




岡村さんは、どのようにして音楽と出会ったんですか?

「保育園に通っていたころ、ヤマハの音楽教室に入っていたんです。楽器を弾くための教室ではなく、音楽を使って情操教育をするスクールなんですが、先生が私の素質を認めてくれたのか、“この子はピアノ教室に進んだらどうですか”と親に推薦してくれたんです。そのままピアノを習ううち、音楽がますます好きになっていました。
ただ、その時点ではプロのミュージシャンになりたいという希望はなくて、将来は音楽の先生になりたいなと漠然と考えていました。ところが高校2年生のとき、ラジオから流れてきた『雨やどり』という曲を聴いて、さだまさしさんという存在を知ったんです。私が初めて出会ったシンガーソングライターでした。自分で詞を書いて、曲を作って、それを演奏しながら歌って表現している人の姿を見て、“私もやってみたい”と思ったのは、それまでそうした音楽を聴いたことがなかったからだと思います。さだまさしさんとは2005年にテレビの音楽番組で初めて共演することになるんですが、さださんを知ったことは、私にとって衝撃的な出来事でした。
 それでも、高校時代は自分で作った曲を発表することはなく、友だちが作った曲にハモるようなことをしていました。ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)というのがあると知ったのはそのときで、グランプリ優勝者はレコードデビューすることができるという登竜門的なコンテストということで、いつか挑戦してみたいなと思ったんです。
 行動を起こしたのは、大学に入ってからです。私は小中高と愛知県の岡崎市で暮らしてきましたので、名古屋市にある大学に入ったからには、都会の友だちを作りたいと思っていたんです。ところが、いちばん仲がよくなったのは豊川市出身の加藤晴子さん、通称ハコです。あとから聞くと、ハコも私と同じことを考えていたそうなんですが、田舎者同士、波長が合ったんでしょうね(笑)。
 彼女とは通学の電車も一緒でしたから、毎日1時間半くらい、いろいろな話をしました。ポプコンというのがあるんだけど、一緒にやってみない? と誘ったのは、わりと早い時期のことです。彼女はテニスが得意なスポーツ万能少女だったので、承諾してくれるかどうかはわかりませんでしたが、すぐに“いいよ”と答えてくれて、その後、私の家でオリジナル曲を聞いてもらったんです。実は私にとって人に自分の曲を披露するのは初めての機会だったんですが、ハコは、“すごくいいね”と言ってくれました」


『待つわ』のヒットはうれしかったけど、
いつの間にかひとり歩きをしていった




「あみん」は、岡村さんがハコさんをスカウトすることで誕生したわけですね?

「まぁ、そういうことになるのかな(笑)。ハコは、私ととても声質が似ていて、ピッタリの相手でした。ふたりとも大学では部活に所属していなかったので、歌の練習は授業を終えた校庭の裏でやったりして。
 1年生のときは『琥珀色の想い出』という曲でポプコンに出場したんですが、最初のテープ審査からはじまって、中部北陸大会まで進むことができたんです。それだけでもうれしい成果でしたが、“次は全国大会を目指そうよ”ということになって、半年後の春に『待つわ』という曲で再チャレンジすることになりました。
 実は『待つわ』のときも、中部北陸大会止まりで終わるはずだったんですが、一般審査員の票を受けた本部推薦をいただいて、かろうじて全国大会に進むことができたんです。ですから、静岡県掛川市のつま恋のコンテスト会場に行ったときは、多くの一般審査員の方々の期待に応えようと緊張していました。他の出演者はけっこうリラックスして夜遅くまで起きていたみたいだけど、私たちは9時に寝て、翌日のコンテストで100%の力を出そうと思っていました。
 ですから、グランプリを受賞できたときは本当にうれしかったんです。ところが、その年の夏にレコードとして発売された『待つわ』はその後、私たちの手を離れてひとり歩きをしていきました。
 私たちとしては、3年くらいライブ活動をして、その間にオリジナル曲を作りためてアルバムを出し、少しずつ存在が認められていくようなものを想像していたんです。でも、『待つわ』が思いがけないヒットをした影響で、点滴を打ちながらキャンペーンに出かけるような多忙な日々がやってきました。一体、どういうことになっているのか、どうすればいいのか、自分のことながらまったく理解することができませんでした。
 私は、ハコを巻き込んでしまったことを申し訳なく思いました。ですから、“大学に戻りたい”と彼女が『あみん』を抜けたときは仕方のないことだと思いましたし、他のメンバーで活動したらどうかという提案にも同意することはできませんでした。『あみん』は私がハコと作ったグループですから、それ以外の組み合わせは考えられませんでした」




音楽は、自分の人生経験の中から
生まれるものです



「あみん」はデビューして1年半で活動を停止しましたが、その後、岡村さんはどんなことをしていたんですか?


「車の免許を取ったり、花嫁修業をしたり、しばらくの間は音楽と離れた生活をしていましたが、少しずつ曲作りもするようになりました。アマチュアとしての活動でもいいから、機会があればライブハウスで歌えるようになればいいなという気持ちでした。そんな日々が1年半くらい続いたとき、“ソロとしてデビューしませんか?”というお誘いを受けたんです。それが1985年のことで、私は23歳になっていました。
 音楽というのは本を読んだり、映画やお芝居を見たり、それから人と出会ったり、さまざまな人生経験の中から生まれるものです。思えば『あみん』でデビューしたときの私は、世間知らずで未熟な人間でした。だから、ソロとして音楽活動をはじめるにあたって私は、決して焦らず、少しずつでいいから経験を積みながら活動していこうと決めました」




岡村さんの場合、曲作りはどんな方法で行うのですか?


「最初は、鼻歌です。ララララ~♪とメロディを歌うだけ。楽譜にもせずにひと晩寝て、ピアノに向かうのは翌日です。もちろん、その時点で忘れてしまったメロディもたくさんありますが、それはそれで仕方がないと思ってきました。最近はさすがにメロディを書き留めておくこともありますけど、全部ではありません。
 こうして作ったメロディに合わせて歌詞を作ります。1日でできてしまうものもあれば、5日くらいかかる曲もあって、曲作りにかかる時間というのは一概には言えません。
 かつては“夜の3時に音楽の神様が舞い降りてくる”なんて言っていたこともありましたが、子どもが生まれてからはそんなことは言えなくなりました。何しろ、赤ちゃんのころの子育ては四六時中ですからね。夜中に曲作りをしていたときは、家の中のパインのテーブルが唯一の作業場でしたが、ベッドの上でもキッチンでも、どこでも曲作りはできるんだということを知りました。音楽の神様は、やってくるのを待っているのではなくて、こちらから迎えに行けばいいんだって」



自分が何を求められているのか、
曲を聴いてくれた人たちに教えられました


ソロデビューして2年目の1987年にリリースした『夢をあきらめないで』は大ヒットしただけでなく、音楽の教科書に掲載されたり、多くの人に愛されましたね。


「そもそもこの曲は、失恋曲として作られたものです。失恋して落ち込んでいるふがいない自分を鼓舞するために作ったんですが、予備校のコマーシャルソングに採用されたときに水泳をしている映像と一緒に流れて、意外にもスポーツのイメージが合う応援歌としての性格を持っていることに気づかされました。
 ソロデビューしたばかりのころの私は、元『あみん』の一人ではなく、『岡村孝子』というシンガーソングライターとして、どう自分をイメージすればいいか、手探りの状態でした。でも、『夢をあきらめないで』を聴いてくれた多くの人に、自分が何を求められているのかを教わった気がします」



岡村さんの曲の中で、『夢をあきらめないで』のように実人生で起こったことがモチーフになっている曲はけっこうあるんですか?


「それほど多くはありませんけどね。『待つわ』はそれこそそういう曲ですし、2008年の『未来へのたすき』というアルバムに入っている『forever』という曲は、他界した私の父に宛てたメッセージを曲にしたものです。父の葬儀のとき、棺の中に自分の思いを書いた手紙を入れてもらったんですが、そこに書いた文章の一部が歌詞になっています。あまりにプライベートな曲なので、発表することはないだろうと思っていましたが、私と同じように大切な人と死別してしまった人から共感する声をいただいたときはうれしく思い、アルバムに収録することにしました。
 それから2011年の『勇気』というアルバムに入っている『IDENTITY』は、ソロデビューから25周年を迎えて、家族やファン、スタッフの人たちへの感謝の気持ちを伝えるために作りました。だから、今でもライブで歌うときには思いがこみ上げて、グッときてしまうことがあります」



またハモってくれない?
ハコにそう頼むのは、勇気のいることでした


ところで、2002年は岡村孝子ファンだけでなく、「あみん」ファンにとっても特別な年になりましたね?


「2002年は『あみん』がデビューして20周年の年で、それを記念した『DO MY BEST』というベストアルバムをリリースしたんです。これまで頑張ってきたごほうび的な意味合いのアニヴァーサリー・アルバムでしたから、私は選曲をさせてもらうことに加えてもうひとつ、ハコともう一度歌いたいというお願いをしてみようと思ったんです。
 ハコは私より先に東京の企業に就職していましたが、プライベートでの交際はずっと続いていて、私がソロデビューのために上京するときには引越しの手伝いもしてくれたんです。もちろん、一緒にごはんを食べたりすることも何度もありました。ただ、その間、彼女と音楽の話をしたことは一度もなかったんです。そんな話をしたら気分を害してしまうかもしれないという気持ちが私にはありましたし、彼女もあえてその話をしませんでした。
 ですから、そのことを頼むのは、とても勇気のいることでした。いつものように、ごはんを食べる約束を電話でしたときでしたが、“またハモってくれない?”と言ったあとにはすぐに“なんちゃって”と言える心の準備をしていたんです。ところがハコは、私が大学生のころに初めて彼女を誘ったときと同じように、“いいよ”と答えてくれました」



「あみん」の活動と、ソロ活動と、
ふたつがあって今の自分がある



岡村さんとハコさんの共演は、シングル『天晴な青空』と、『DO MY BEST』ツアー最終日のアンコールで実現しますが、その後もアルバムリリースとコンサートツアーなどの活動を続けてファンを喜ばせていますね?


「彼女とハモることができるというのは、私にとってもうれしいことです。彼女の声質が私と似ていることはすでに述べましたが、音響のプロであるミキサーさんから、“どっちの声だかわからなくなる”なんて言われるくらい、よく似ているようです。
 ハコは私にとって、親友であると同時に特別な存在です。年齢も出身も同じで気心も知れているし、16年前に私が出産したときは、先輩ママとして励ましてくれました。だから、『あみん』の活動を再会するにあたっては、“楽しくなかったら意味がないから、何でも言いたいことは言おう”ということが暗黙の約束になっています。
 実際、彼女と歌うときは本当に楽しいんです。コンサートで旅をするときは、お茶を飲みながらホテルの部屋で夜遅くまで話し込んだりして、まさに“大人のクラブ活動”のようなもの。『あみん』の活動を通して、自分のソロ活動も新たな刺激を受けたりして、私の中ではいいサイクルができてきたように思います」


アルバムは私にとって
心の絵日記のようなもの



2013年3月にリリースされた、17枚目のソロ・アルバム『NO RAIN, NO RAINBOW』についても是非お話してください。


「2011年9月、東日本大震災の半年後にリリースしたアルバム『勇気』は、昨日と変わらない今日という日常が続いていくというのは、実はすごいことなんだという気づきによって生まれました。『夢をあきらめないで』の新録音源を収録したことを含めて、メッセージ性の高いアルバムになりましたが、今回はそれとは少し違った形でテーマを見つめてみました。
 今は、頑張っても頑張っただけの結果を得るのがむずかしい時代だと言われます。確かに、結果を出せずに苦しんでいる人に、さらに“頑張れ”と声をかけるのは酷ですよね。そんなとき、自分だったらどんな言葉を聞きたいかと考えると、“頑張ったね。よしよし”とほめてくれる言葉だと思ったんです。『NO RAIN, NO RAINBOW』を聴いた人が、少しでもそんな風に癒されることがあったら、素敵なことだと思いますね」



岡村さんはアルバムを作るにあたって、ひとつの統一したテーマを設定するものですか?


「強く意識しているわけではありませんが、それを作っているときに感じたことや気持ちは必ず反映されているはずです。心の絵日記のようなものですね。だから、過去のアルバムを聴くと、このときはこの土地に住んでいて、こんなことがあって、あんなことを考えていたな、ということがありありと思い浮かぶんです。これは、他のアーティストの方の音楽を聴くときも同じことです。音楽って、本当に不思議な力を持っていますね」





略歴
岡村孝子(おかむら・たかこ)
生年月日 昭和37年1月29日
出身地 愛知県岡崎市

1982年7月、“あみん”として『待つわ』でデビュー。
楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まってミリオンセラーの大ヒットとなり、同年のオリコン年間シングルチャート1位を記録、同年の第33回「NHK紅白歌合戦」にも出場する。
1985年10月、アルバム『夢の樹』でソロデビュー。
1987年にリリースされたシングル『夢をあきらめないで』は超ロング・セールスを記録。この曲は中学校の音楽の教科書にも広く採用されている。
1988年、リリースされたアルバム『SOLEIL』から6作連続アルバムチャート1位を記録、「OLの教祖」とまで呼ばれ、多くの女性の支持を集める。
2007年、“あみん”デビュー25周年となり、休止していた“あみん”の活動を再開。
2007年7月、“あみん”として24年振り2枚目となるオリジナルアルバム『In the prime』をリリース。その後“あみん”として初の全国ツアーを行う。年末には1982年以来、25年振り2回目となる「NHK紅白歌合戦」にも出演する。
2008年も引き続き“あみん”としての活動を継続させ、10月、“あみん”3rdアルバム『未来へのたすき』をリリース、コンサートツアーを行う。
2009年より岡村孝子ソロでの活動を再開する。
2011年9月、ソロデビュー25周年記念盤となる16枚目のオリジナル・アルバム『勇気』をリリース、コンサートツアー『勇気 ~courage~』を東京、大阪、名古屋にて行う。
2012年7月、“あみん”デビューから30周年を迎える。

自己PR
アルバムをリリースしたあとには、コンサートツアーが始まります。
できあがった新曲はもちろん、親しみのある古い曲をお客さんの前で歌うのは、私にとって特別なことです。
曲というのは、CDにして発表するだけではなく、ライブをやることで初めて完結するのだと思っています。それは、私の曲を聴いてくれる人の顔を見ることができる、唯一の場だからです。
これからも多くの人との出会いを大切にして、いい刺激をもらいたいと思っています。


岡村孝子、17枚目のオリジナル・アルバム
『NO RAIN, NO RAINBOW』
をリリース!


17枚目のオリジナル・アルバム『NO RAIN, NO RAINBOW』
デビュー30周年を迎えた岡村孝子の、前作『勇気』(2011年9月リリース)に続く17枚目のオリジナル・アルバム。
 昨年12月に行われたスペシャルライブ「Christmas Picnic」にてリリースに先駆け披露され反響の大きかったタイトル曲『NO RAIN, NO RAINBOW』を始め、1989年リリースの『青い風』や、2008年あみんにてリリースされた『時間の砂』のセルフカバーを含む、全10曲を収録。
 アルバムタイトル『NO RAIN, NO RAINBOW』はハワイの諺で「雨なくして、虹はなし」(雨が降らなければ、虹も出ない)という意味があります。「悪いことの後には、きっと良いことがあるよ」と、あるがままを受け容れながらも、また明日に向かって歩き出すしなやかな強さに溢れる、そんな岡村孝子からのメッセージが温かく心に響きます。
 また、5月25日より全国ツアー「岡村孝子コンサートツアー2013 “ T's GARDEN SPECIAL ~NO RAIN, NO RAINBOW~”もスタート。日程や開催地などのくわしい情報は、岡村孝子オフィシャルホームページでチェックしてください。


2012年12月24日、渋谷公会堂で行われたスペシャルライブ「Christmas Picnic」最終日の模様を収録したライブDVD『ENCOREⅦ』も同時発売

岡村孝子オフィシャルホームページ

取材・文/ボブ内藤
写真/松谷祐増(TFK)







BIG SPECIAL「Age Free Music ~大人の音楽~」


 ラジコ新旧2セットとラジカセにてタイマー録音。
結局ラジコの新バージョンにて音源確保。
関西ではなぜか音源確保の機会がなかったけど、なんとか満足。
富沢さんのインタビューが好評だし、落ち着いて聴いていられる。