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YOMIURI ONLINE 情報

 人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。

 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。

 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。

 先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。

 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井隆之)
                                                  

おかむら・たかこ
 1962年、愛知県岡崎市生まれ。82年に女性デュオ「あみん」として「待つわ」でデビュー。85年からソロ活動を開始。「夢をあきらめないで」などヒット曲多数。7月16日に東京・中野サンプラザホールでコンサートを開く。
  
                           岡村孝子さん(鷹見安浩撮影)




    シンガー ソング ライターになったきっかけとして、
さだまさしさんの事はよく話されていますね。
しかし僕はこの小学生の時の逸話の方が、
孝子さんのその後の人生の方向を定めたと思います。
『少女の些細な夢』『無意識の意識』を後押しされ、
夢に近づく事に孝子さんなりの判断で『我』を押し通されたのだと思います。
今なお前向きに、真剣に素直にそして一歩ずつ、、、。
そんな姿に、そんな作風に人として心打たれるのです。
この時のこの出会いか無かったら、
今日の岡村孝子さんはなかったのかも知れませんね。
また孝子さんの作品に出逢わなかった多くの若者が、
心の拠り所を無くし、彷徨ったのかも知れません。
『一期一会』に感謝(^v^)




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