ひとりごと 2017/05/31 シアワセ ユキのあの頃ミュージック 孝子さんの番組に影響されて、自分の過去を振り返り、その時々に影響を受けた番組や曲を挙げてみた。 青春時代の初めての挫折した時に出会った『小椋佳』の世界。それまではラジオから流れるお気に入りの曲を、カセットに録音して楽しんでいた。『しおさいの詩』など聴くと、今でも目頭が熱くなる。初めて買ったのは小椋佳のLP。しかしある時点から離れる。 木戸を開けて~家出する少年がその母親に捧げる歌 小椋佳 1972年3月発売 聴き始めがいつの頃かわからないが、いつしか日課になり心と身体を癒やす番組でした。恵美子さんの声とそのテーマソングに魅了され、毎日の仕事の疲れを癒やしてくれていた。でも夏場はナイター中継のため、何度も中止に追い込まれた。今でも野球が大嫌いなのも、この頃の刷り込みです。歌手としての恵美子さんは知らないけれど、番組に詩を投稿したり和歌山県加太での特番も参加した。1982年8月の最終週の初日で結婚報告、突然番組が終わった。(他局では週末まで有った。)『エミコの長いつきあい』は、今の孝子さん的存在でした。放送日 1974年10月7日~1982年8月27日『yukiの長~~いつきあい』 ※ 音源はインターネットエクスプローラーにて開いてね(^_^)v エミ長 公録 中山恵美子 これも仕事疲れで癒やされた『谷山浩子』の名曲。神戸市須磨区にラジオ関西が有った頃に、『ギャルギャル神戸』のDJをしていた。当時まだマイナーだった浩子さんのファンだった。西島三重子さんと交替で担当していた。この番組でも詩を募集していたので、それまで認めていたもののひとつをダメ元で投稿。見事採用され、浩子さんに曲を付けて頂いた。ピアノの弾き語りで、一週のはずがなんと四週もラジオから流れた。下期だけ3年で番組は終わり、浩子さんはオールナイトニッポンでメジャーに化けてしまった。ラジオ関西では『隣のミヨちゃん』的存在の浩子さん、ピーク時は山口県まで遠征していた。曲の雰囲気や詩の内容もだんだん変ってしまったように感じられ、少しずつ減っていった。彼女に求めていた何かが少しずつ変って行った。 忘れられた部屋で 谷山浩子 1978年9月21日 発売 三重子さんとの出逢いはやはりラジオ関西の番組。番組が終えてから曲に親しむほどに、浩子さんから三重子さんへ比重が変った。岡村孝子さんのファンになってから、三重子さんの詩の故郷を訪ねた。『池上線』『千登勢橋』『目白通り』などの詩の世界に浸った。 千登勢橋 西島三重子 1979年発売 第二の挫折の頃、北海道を放浪していた。自転車、北海道ワイド周遊券、ユースホステル、、、、。当時人生の道標を追い求めていた。でもそこには何も無かったけれど、その時以来『ダメ元精神』が刻まれたと思っている。『旅の終わりに』なんて、封印したい。 北国の想い出 芹洋子 深夜放送に嵌まっていた頃、関西では『ヤンリク派』と『ヤンタン派』があった。番組の後半、深夜二時を過ぎた頃の『心の旅 遠くへ行きたい』コーナーが好きだった。この番組で貰った『ヤンリク手帳』は今は黄ばんでいます。 ABC ヤングリクエスト 1966年4月から1986年10月3日 そして人生で仕事でイケイケの日々の中、三度目の挫折のある日、孝子さんに出逢いました。関口さん司会の『知ってるつもり』の初回を観ていて、ラストに流れていたこの曲に、後頭部を殴られたような衝撃を受けました。そしてその日以来まだ観ぬ孝子さんと、孝子さんの詩の世界に恋をしました。岡村孝子さんのファンクラブに入ったり、カセットテープやLPを買い、一年後初の大阪城ホールで『動く孝子さん』と出逢いました、、。あの時以来30年近く、今日まで孝子さんのファンで居続けています。あの日、あの時の偶然に感謝します。 愛がほしい 岡村孝子 1989年10月08日 『知ってるつもり』 のエンディングテーマ こうして記してみると暗い歌ばかり。でもその中から『ひとすじの灯り』を見つけ、今日のシアワセ ユキが存在して居る。これからの人生、孝子さんが永遠のミチシルベなんでしょうか。 PR