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シアワセ ユキのあの頃ミュージック


   孝子さんの番組に影響されて、自分の過去を振り返り、

その時々に影響を受けた番組や曲を挙げてみた。


   
  
  青春時代の初めての挫折した時に出会った『小椋佳』の世界。
それまではラジオから流れるお気に入りの曲を、カセットに録音して楽しんでいた。
『しおさいの詩』など聴くと、今でも目頭が熱くなる。
初めて買ったのは小椋佳のLP。しかしある時点から離れる。


  木戸を開けて~家出する少年がその母親に捧げる歌  小椋佳  1972年3月発売





  
  聴き始めがいつの頃かわからないが、いつしか日課になり心と身体を癒やす番組でした。
恵美子さんの声とそのテーマソングに魅了され、毎日の仕事の疲れを癒やしてくれていた。
でも夏場はナイター中継のため、何度も中止に追い込まれた。
今でも野球が大嫌いなのも、この頃の刷り込みです。
歌手としての恵美子さんは知らないけれど、番組に詩を投稿したり和歌山県加太での特番も参加した。
1982年8月の最終週の初日で結婚報告、突然番組が終わった。(他局では週末まで有った。)
『エミコの長いつきあい』は、今の孝子さん的存在でした。
放送日 1974年10月7日~1982年8月27日

yukiの長~~いつきあい』  ※ 音源はインターネットエクスプローラーにて開いてね(^_^)v



 エミ長 公録  中山恵美子  






 
  これも仕事疲れで癒やされた『谷山浩子』の名曲。
神戸市須磨区にラジオ関西が有った頃に、『ギャルギャル神戸』のDJをしていた。
当時まだマイナーだった浩子さんのファンだった。西島三重子さんと交替で担当していた。
この番組でも詩を募集していたので、それまで認めていたもののひとつをダメ元で投稿。
見事採用され、浩子さんに曲を付けて頂いた。
ピアノの弾き語りで、一週のはずがなんと四週もラジオから流れた。
下期だけ3年で番組は終わり、浩子さんはオールナイトニッポンでメジャーに化けてしまった。
ラジオ関西では『隣のミヨちゃん』的存在の浩子さん、ピーク時は山口県まで遠征していた。
曲の雰囲気や詩の内容もだんだん変ってしまったように感じられ、少しずつ減っていった。
彼女に求めていた何かが少しずつ変って行った。



 忘れられた部屋で 谷山浩子  1978年9月21日 発売







  三重子さんとの出逢いはやはりラジオ関西の番組。
番組が終えてから曲に親しむほどに、浩子さんから三重子さんへ比重が変った。
岡村孝子さんのファンになってから、三重子さんの詩の故郷を訪ねた。
『池上線』『千登勢橋』『目白通り』などの詩の世界に浸った。


 千登勢橋  西島三重子  1979年発売






 
  第二の挫折の頃、北海道を放浪していた。
自転車、北海道ワイド周遊券、ユースホステル、、、、。
当時人生の道標を追い求めていた。
でもそこには何も無かったけれど、その時以来『ダメ元精神』が刻まれたと思っている。
『旅の終わりに』なんて、封印したい。
 
 北国の想い出  芹洋子 







  深夜放送に嵌まっていた頃、関西では『ヤンリク派』と『ヤンタン派』があった。
番組の後半、深夜二時を過ぎた頃の『心の旅 遠くへ行きたい』コーナーが好きだった。
この番組で貰った『ヤンリク手帳』は今は黄ばんでいます。

  ABC ヤングリクエスト  1966年4月から1986年10月3日







  そして人生で仕事でイケイケの日々の中、三度目の挫折のある日、孝子さんに出逢いました。
関口さん司会の『知ってるつもり』の初回を観ていて、
ラストに流れていたこの曲に、後頭部を殴られたような衝撃を受けました。
そしてその日以来まだ観ぬ孝子さんと、孝子さんの詩の世界に恋をしました。
岡村孝子さんのファンクラブに入ったり、カセットテープやLPを買い、
一年後初の大阪城ホールで『動く孝子さん』と出逢いました、、。
あの時以来30年近く、今日まで孝子さんのファンで居続けています。
あの日、あの時の偶然に感謝します。

  
 
  愛がほしい  岡村孝子  1989年10月08日 『知ってるつもり』 のエンディングテーマ




  



  こうして記してみると暗い歌ばかり。

でもその中から『ひとすじの灯り』を見つけ、今日のシアワセ ユキが存在して居る。

これからの人生、孝子さんが永遠のミチシルベなんでしょうか。















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