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虹のパレット:東洋医学の神秘に驚かされ

虹のパレット:東洋医学の神秘に驚かされ
                                               毎日新聞 2015年05月04日 地方版

 今年初めから通い始めた娘の鍼(はり)治療。東洋医学の神秘に驚かされています。
不調の原因が分からず、あれこれ見てもらった後、知人の紹介で初めて鍼院を訪れた時、
あまりの肩凝りのひどさに「こんなに重症な人を診たことない」と先生に言わしめるほどでした。

 何度か通い、少しずつ血行が良くなり、体の調子が戻ってきたある日、
「最初来た時、可哀そうな顔をしてましたよ。
表情も全くないほどこわ張って、手足も冷たく、息をしているのか?と思いました」
なんて言われて大笑いしました。

 疲れて寝ている時も、多分すごい力でかみしめているのか、かみ合わせやあごにまで影響し、「よし、今年は私の空いている時間を全て使って娘と向き合おう」と、
歯も何もかも悪い所を一つ残らず治すことにしました。

 思えば、これまで自分の仕事中心で、娘のことは二の次だったかも……。

 13年前、あまり幸福ではなかった結婚生活にピリオドを打ち、
シングルマザーになろうと決める時も、なかなか一歩が踏み出せず、
ベッドでさめざめと泣いていた私の頭をなでて、
たった4歳だった娘が「私がいるじゃない」とにっこり笑顔を見せて背中を押してくれました。
あれから13年、「へのかっぱ」と奥歯をかみしめることがたくさんあったのでしょう。

 ちょうど離婚を決めた頃、父の事業の一つがうまくいかず父が負債を抱えました。
私は23歳で東京に来て以来、父の仕事は全く把握していなかったため驚きましたが
(商売をしている人であれば良い時も悪い時もあるのでしょう)、
できる限りの返済を手伝って助けました。

 父は20代の頃、トランク一つで三重から母と愛知に出て一代でタクシー会社を築きました。
マイホームも持ち、よく働きました。
小学校に上がる頃、私はピアニストになりたいという夢がありました。
庭の滑り台の上に立ち、政治家だった父のまねをして、
「私、岡村孝子はピアノが欲しいです」と来る日も来る日も演説(?)をしていたそうです。

 その頃、習っていた音楽教室の先生は母に
「才能があるのでピアノを習わせては?」と勧めてくれたそうです。
決して裕福ではなかったと思いますが、先生の助言と根負けしたのとで、
ある日、清水の舞台から飛び降りる思いでピアノを買ってくれました。

ピアニストやピアノの先生にはなりませんでしたが、
今、こうして大好きな音楽で生きていられるのは父がレールを敷いてくれたおかげ。
愛情たっぷり注いでくれた父を少しでも助けてあげられて悔いはありません。

 私は借りているものも、背負っているものも1円たりともないのですが(笑)
出会う多くの方が、いろいろな噂(うわさ)を耳にし、
先入観を持っているであろうな……と感じることがしばしばあります。
きっと娘も理不尽な思いを何度も味わったことでしょう。

 思慮深い彼女は、前を見つめ、時には私を気遣い、立派に成長してくれました。
そりゃ、肩も凝るよね。娘は忙しい時間の合間を縫ってメンテナンスの日々です。
2年近く病院に通っても治らなかったホルモンのバランスが、
ある日の治療ではピタッと整ったり、手足もポカポカになり、
少しずつ表情が柔らかくなるたび、おじいちゃん先生がピョンピョン飛び跳ねながら
「こんなに良くなりました! 奇跡です」と喜んでくれて……。

 やっぱり、「手当て」と言うように“魔法”の手で傷んでいる所を確認し、
温かい気持ちを注いでもらうことって大事ですよね。
人間の体って不思議です。私も通おうかな?(シンガー・ソングライター)

     ◇

 「虹のパレット」は毎週月曜日に掲載します。次回は瀬木直貴さんです。

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 ■人物略歴

 ◇おかむら・たかこ

 1962年愛知県岡崎市生まれ。
椙山女学園大学在学中に同級生の加藤晴子さんとデュオ「あみん」を結成し、
82年に「待つわ」でデビューした。
85年にソロデビュー。87年に発表した「夢をあきらめないで」はロングセールスを記録した。アルバム「After Tone6」を昨年11月にリリースした。
7月11日に江南市民文化会館、同26日に日進市民会館でコンサートを予定。









  最近『告白』が多い。
また重い内容で、どう受け止めればいいのか。
そして娘さんがこうも容態が悪いとは夢にも思わなかった。
愉快なおじいちゃん先生に巡り会えて、良かったですね(^v^)
そして僕は『精神科医 孝子先生』に巡り会えて幸せ者です。

  ステージやライブ後のお姿や笑顔を拝見する限り、
不調なのは孝子さんご本人だけだと思ってた。
関東中心のライブになる事も納得である。
無理をなさらないで♡

  お父様の事業に関し、未だに付いて回る偏見の目。
でも僕を含む多くのファンは、孝子さんは親孝行な娘さんだとずっと思っています。
なかなかできない事です。

 「私、岡村孝子はピアノが欲しいです」と来る日も来る日も演説(?)をしていたそうです。
は、孝子さんの原点ですね。
自ら主張する事で、自らを奮い立たせて自分を追い込む。
もっと早く孝子さんに出逢っていたら、もう少し違った人生だったかな(^_-)-☆ 



  『虹のパレット』の最終回は『私、岡村孝子は♡♡さんと結婚しました』と、
ある日突然メディアを賑わすのでしょうか。






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